水無月 「時」

 6月には、「時の流れ」について思いを巡らせる日がいくつかあります。かつて水時計を用いて、はじめて宮中に時が告げられた日と伝わる、10日の「時の記念日」。21日頃には、昼が最も長いとされる「夏至」の日。そして一年の上半期の最終日にあたる30日。この日には、半年間で身に積もった罪やけがれを祓い、そして清める晦日の行事として「夏越の祓(なごしのはらえ)」が多くの神社で執りおこなわれます。直径2メートルほどある芯にイネ科のチガヤなどを巻き付け作られる茅(ち)の輪をくぐることで、お祓いをする人も多いことでしょう。神社に参詣できなくとも、半年という時を振り返り、清々しい気持ちで次の半年を過ごせることを祈りたい日です。
 さて、私がこの拙文『月を仰げば、満たされること。』を綴り、お蔭様で一年と少しが経ちました。季節の移り変わりに、これまで以上に深く長く寄り添ったことで、多くの細かな美しさに気づくことができ、学ぶことも多くあったと実感しています。また、私自身が最も「満たされた」のではないかと思います。
 そもそも、季節の移り変わる魅力をさまざまなかたちで伝える『四季の企画室 野の』のはじまりは、私が希望を失ったことに端を発します。心身ともに弱ったところへ、最愛の母を亡くし、目の前には不安しかなく、自信もなくし、多くのものへの興味すら失うほど落ち込んでいた時期。そのとき、唯一興味を抱いたのが、手や、耳や、目の届くところにあるもの、「自然」でした。

 前へ進みたい、けれども進めないから苦しい、でも大丈夫、大丈夫、と言い聞かせる状況でしたが、散歩を通して季節の移り変わりをみつめていると、なにかしら心を動かすことに毎日出会えました。よくよく考えると、苦しみにもがきつつも、日々の散歩をすることで、私は前へ進んでいたのです。「欲張らず、無理せず、自分の速度で、想いのままに」という自然からの教えを身体に染み込ませ、大地に根をしっかりと張っていくという前進です。自然に支えられつつ、自分に何が大切かを問い続けていると、「季節の移ろいが、ただただ美しく、そう感じられるだけで、充分」と、思えるようになり、とてもおだやかな気持ちで過ごせるようになりました。そしてこのおだやかさは、これからの日本においても、とても大切なことと信じたい。そう思ったことで気負いなく、『四季の企画室 野の』をはじめることができました。

 ところで、禅語には自然のものに例えて、人生の教えを説く言葉がたくさんあることをご存知でしょうか。私はそれほど詳しくないものの、「川」や「水」が“動”として「時間」に例えられることが多いのではと感じています。また、「月」が“動”に対しての“静”となり、「心」に例えることも多いようです。その最たるもののひとつに「水急不流月(みずせわしくしてつきをながさず)」があります。「水が勢いよく流れようとも、水面に映る月が流されることはない」という意味です。
 とてもはやい時間の流れに、多くのものが流されていっても、同じように流されることなく、輝く月のような澄んだ心でありたい。これからをこのように願い、最後の拙文とさせていただきます。

長い間のお月合い、本当にありがとうございました。
『四季の企画室 野の』 福田アイ

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