サンフランシスコを拠点に、世界中の建築家と協働しながら社会の課題を建築で解決するNPO「Architecture for Humanity(アーキテクチャー・フォー・ヒューマニティ。以下AFH)」を主宰するキャメロン・シンクレアさん。災害や病気や貧困などの問題を、建物を建てることによって解決しようとしているキャメロンさんに、おそとの魅力と課題について語ってもらいました。
- (文と写真:山崎亮)
世界中を飛び回る建築家
まず最初に、AFHの活動の紹介をお願いします。
僕たちは、世界中の災害や病気、貧困などの問題を抱えている地域に建物を建てています。そういった地域に生きる人たちが、安心して安全に生活を送るのに必要な建物は、彼ら自身の手で、身近な資材を使って建てることができるものでなければいけません。そのために世界中の建築家から、それぞれの地域にあった建築の工法やデザインを公募するのです。そして、現地にスタッフをひとり派遣し、指導する。様々な社会問題を、建物を建てることで解決しようとしています。いつどこで何が起こるかわかりませんが、昨年のハイチ地震のときも真っ先に駆けつけました。
世界中でプロジェクトに関わるあなたの活動が、『Design Like You Give a Damn』という本の最初にまとめられていますね。
この本ができた経緯が面白いんです。最初、出版社は僕に自伝を書いてほしいと依頼してきました。当時30歳だった僕にですよ。到底書けませんよね。ただ、建築家が自分の作品を並べた作品集を出版することができるんだから、僕のプロジェクトを並べた作品集をつくることならできるのではないか、と思ったのです。ということで、作品集ならぬプロジェクト集をつくるということで出版社と契約しました。その4日後にインドネシアの津波が発生し、僕たちは現地へ入って活動を続けました。3ヵ月後、出版社へ渡した原稿には、僕たちの活動について12ページしか書いていませんでした。残りの600ページは、世界中でおこなわれている、建築技術によって地域の課題を解決しようとしている、ほかのプロジェクトについて紹介しました。出版社は怒りましたね。自伝を依頼したのに、自伝どころか僕たちのプロジェクトもほとんど紹介されていない本になったわけですから。ところが発売してみたらよく売れる。彼らも驚いていましたね(笑)。
サンフランシスコの中心部にあるAFHのオフィス。天井が高く広々としている。
『Design Like You Give a Damn』
おそとがリビング兼仕事場
世界を舞台に活躍されていますが、屋外空間で過ごすことはよくありますか?また、身近なところで好きな屋外空間を教えていただけますか?
昔、モンタナ州の手付かずの自然の近くで暮らしていたときは、一日のうちのほとんどを屋外空間で過ごしました。いまはカリフォルニア州に住んでいるのですが、近くにミューア・ウッズという森があります。自然保護運動の父、ジョン・ミューアにちなんで名づけられた国定公園です。大木に覆われた、暖かい雰囲気のとてもいい森なんです。ここには、国連設立のためにサンフランシスコに各国の重要人物が集まったとき、事務局がその人たちをミューア・ウッズに連れて行ったというエピソードがあります。樹齢1000年にもなる木々の間を歩いて、人間のはかなさを深く感じてもらおうとしたのだそうですよ。
ミューア・ウッズ国定公園(カリフォルニア州)
おそとでは普段、どのように過ごされていますか?
僕は少し特殊な仕事をしているんだと思います。世界各地でプロジェクトが動いていますから、年間に40~50万kmも旅をするのです。長い旅に出かけるとき、よく小さなバックパックを肩に掛けていきます。中には2人分の皿とナイフとフォーク、そして食べ物や飲み物を入れる容器などが入っていて、気に入った場所を見つけたら、それらを広げて屋外にリビングルームをつくるのです。森につくるときもありますし、砂漠につくるときもあります。ホテルの空間はどこも同じでしょう。マリオットホテルは、東京でもナイロビでもニューヨークでも全部同じ鍵で同じベッド。自分がいまどこにいるのかわからなくなってしまいます。だから僕は屋外空間をリビングルームとして使うことで、それぞれの国、地域を体感するのです。
AFHの壁に立てかけられたホワイトボード。いろんな国の仕事に携わっていることがわかる。
スケジュールを書いたカレンダーには、世界中の地名が書き込まれている。
いつでもおそとが快適な空間になるような工夫をされているのですね。他にキャメロンさんならではのおそとの過ごし方やユニークな経験があれば教えてください。
僕にとって屋外空間は、リビングルームでもありワークスペースでもありますね。そうそう、素晴らしい経験をしたことがあります。アフリカで新しい学校を建設するためのレクチャーをしたときのことです。とても暑い地域で、僕は暑さに慣れていませんからたくさん汗をかいていたんです。子どもたちがそれを見て笑っていたので、先生がこのままではレクチャーに集中できないと思ったんでしょうね、「別の場所へ行きましょう」と提案してくれました。図面や模型などを持って曲がりくねった道を歩いていくと、森のなかの大きな楕円形の広場に着きました。200人くらいの子どもが座れることのできる広いスペースでした。その真ん中に大きな樹が2本あって、子どもたちはその周りに座り、僕は樹木の枝に図面を掛けて説明を続けました。とても涼しくて、気持ち良くレクチャーを続けることができました。この空間をデザインしたのは誰でしょう?建築家?本当に頭の下がる思いでした。僕たちは新しい学校のデザインを教えに、飛行機に乗ってアフリカまで来たわけです。なのに、彼らは僕が今までに見たなかで、最も素晴らしい教室を既に持っていたのです。
アフリカのブルキナ・ファソに建てられたガンド小学校。設計はディエベド・フランシス・ケレ。ケレのデザインはAFHのオープン・アーキテクチャー・ネットワークによって世界中から図面にアクセスできるようになり、同じ小学校がいくつも建設された。*
レンガを積み上げた壁でできた学校。レンガは地元の泥でできている。*
建築家として都市にできること
なぜ建築家を志されたのですか?そして、建築で人道支援に関わることになった経緯を教えてください。
建築家になった理由は2つあります。ひとつは自分が生まれ育ったまちの建物が汚らしかったこと。僕はイングランドのバースというまちで育ちました。美しい教会などひとつもない貧しいまちでした。その状態を何とかしたいと思って建築家を志したのです。
もうひとつはもっと個人的な理由、つまりガールフレンドの影響なんです。当時好きだった子のお父さんが建築家だったので、お父さんにいい印象を持ってもらい、彼の事務所で働きたいと思っていたんです。15歳の少年はガールフレンドのためなら何でもしますよね(笑)。
僕が建築家、特に昔の建築家から学んだのは、建築家としてできることを都市へと還元することです。17、18世紀の建築家たちは、「都市が私にチャンスをくれた。だから私も都市にチャンスを与える」といって、自分たちのスキルを都市環境の改善に活かそうとしてきたのです。つまり、建築家と都市の間に社会的な会話があったわけですね。一方、現代の建築家は都市に何かを還元しているでしょうか。立派な超高層ビルを建てても、その足元でホームレスが寝ているとしたら、僕にはそれこそが無視できない問題だったのです。
屋外空間は僕たちに限りない力を与えてくれますが、一方で屋外空間にはまだまだたくさんの課題が残っているのも事実です。『OSOTOweb』のような取り組みを通じて、屋外空間の魅力を多くの人に知ってもらうのと同時に、屋外空間の課題をひとつずつ解決することが大切だと思います。
ありがとうございました。
キャメロン・シンクレアさんへのインタビュー。左は筆者。(撮影:小泉瑛一)
*の写真はすべて『Design Like You Give a Damn』より。