おそとを走るとクリアになれる

アドベンチャーディバズのイベント「FUNFUNトレイルラン」より

アスリート時代はトレイルランニングの女性選手として国内無敵の強さを誇った、櫻井教美さん。現在は自然やアウトドアの魅力を伝えるべく、トレイルランニングやテント泊の体験イベントを開催している会社『アドベンチャーディバズ』のスタッフとして、イベントのナビゲーションや企画に携わっています。約10年間ひたすら走り続け、おそとの“達人”どころか、辛いや痛いなど、すべての感情や感覚が抜け落ち、“仙人”のような無の境地まで達してしまったアスリート時代から、日々の暮らしのなかでアウトドアや走ることを気負わず楽しんでいるという現在まで、櫻井さんにとっての「おそとの魅力」を伺いました。
(取材・文/井口啓子)

ひたすら走ったアスリート時代

―そもそもトレイルランニング(以下、トレラン)というのは、どういったスポーツなのでしょうか?

舗装路以外の山野を走る、ランニングスポーツの一種ですね。日本では、ひたすら山を走るイメージがありますが、欧米だと、なだらかな山里で風景を楽しみながら走るというトレッキングに近いもので、普通に広く親しまれています。競技としては、レースごとに距離の長さもコースの内容もそれぞれに異なるんですけど、基本的には速さを競うものです。一般にはまだまだマイナーですが、レースは毎週末どこかでおこなわれていて、参加募集と同時に定員が埋まるぐらい。実はトレラン人口って多いんですよ。私はロード(道路を使っておこなうレース)もトレランも同じぐらいの割合でやっていたんですけど、それは特殊で、どちらかだけの人が多いみたい。同じランニングスポーツとはいえ、性質がまったく違うんです。ロードのコースは、割と単調なのに対して、トレランはまさに山あり谷ありで、風景も様々。雪が積もっていたり、お花が咲いていたり、変化に富んでいる分、下手をすると崖から落ちて死ぬ危険性もある。アスリートのタイプもロードはストイックな人が多いのに対して、トレランはなんかヤッホー!みたいな(笑)。変化をハードと思わず楽しめる、楽天家なタイプの人が多い気がしますね。

―櫻井さんがトレランをはじめられたキッカケはなんだったのでしょう?

大学のときに、ワンダーフォーゲル部にいたんです。卒業後は辞めて何もしてなかったんですけど、OB会みたいな集まりで「富士登山競走(山頂までの距離21km。ゴールは標高3,700mという山岳コースを制限時間4時間30分で走る過酷なレース)ってのがあるんだよ」って話が出て、「じゃあみんなで来年行こうぜー」って、ほんと軽いノリで参加することになったのが、最初のトレランですね。といっても、「途中で山小屋があって、アンパンとか買えるらしいからお金を持って行った方がいいらしいぞ」とか、知識もあまりない状態で。それまでは山を歩いて登っていたわけですから、「ゲ、山を走るの!?」って感じはありました(笑)。山を走るのって、ロードを走り込んでいる人でも難しいんですよ。でも、私は登山をやっていた分、足の置き方とか力のバランスとか、トレランの下地はできていたみたいで。一年目は制限時間内に完走できなかったんですけど、翌年にはできちゃいました。すると(当時の完走率は50%を下回ることが多かったため)、どこから聞きつけたのか、「国体の山岳競技に出ないか」と誘われて。国体の山岳競技って、今はクライミングぐらいしかないけど、昔は縦走競技(※規定の荷物を背負ってタイムを競うトレランのような競技)とか、他にも種目があったんですよ。それはチーム競技だったから人を探していたみたいで。国体をきっかけに、その人にトレランの世界に引きずり込まれた
わけです(笑)。だから、はじめたのは20代後半で、その後5年間ぐらい、ガーッといろんな大会に出ましたね。それと同時にワンゲル部時代の監督にフルマラソンにも誘われて参加していたので、途中でもうアップアップになっちゃって。2年ぐらい中断していたんですけど、またはじめて、なんだかんだで、結局10年ぐらいを選手として走っていましたね。

走っているときは“無”の状態

―それだけずっと走り続けていると、常に走っている状態が自然というか、逆に「走るなと言われると辛い」ぐらいの感覚になってくるのでしょうか?

それはよく言われますね(笑)。私は意外と走らなくても平気なタイプだったんですけど、それ以来、なんか走るのがクセになっちゃって、最近は“通勤ラン”って言葉もありますけど、仕事に行くときも友達の家に行くときも普通に走ってましたね。さすがに往復20キロ以上になると時間的な問題もあって走らないんだけど、ある程度の距離までは、電車とかバスに乗るという感覚がまったくなくなる(笑)。

―ランナーズハイみたいなものでしょうか。走っているときは、何か考えられていますか?

うーん、私の場合、トレランでも風景とかはあんまり目に入らなくて。レジャーではなくレースだから必死というのもあるんだけど、なんか走り続けることで没頭できるというか、無になれる。だから長距離の方が好きなのかも(笑)。そうやって無になって走っていると、自然に浮かんでくるものがあって。なんかとりとめのない妄想が次々に頭のなかを駆け抜けていく。その感じが楽しいんですね。ただ、あまりにハードなレースを続けていると、走ってるときに、「辛いと思っちゃいけない」とか思うようになって。例えば、足の裏が擦りむけても、「痛い」と思ったら、もう走れなくなるじゃないですか。だから自分で自然に感覚とかを麻痺させるんでしょうね。どんどん無に、空っぽになっていって、もう空っぽになれるのが気持ちいいという意識すらなくなってくる。走っているときはその状態がいちばんラクなんですけど、そういう生活を続けていると、普段テレビを見ていても楽しいとか面白いとかいう感情がなくなってきちゃって…。これはヤバイ!って、引退することにしたんです(笑)。

―それはスゴイ…。精神的な面でも、極めるところまで極められた感じですね。そのあとに、現在の『アドベンチャーディバズ』に所属された経緯は?

そうそう、“極めた”といえるかもしれませんね。私は正直、「育成者としてトレランに貢献したい」みたいな志もないし、それで、もうきれいさっぱりこの業界から消えてやろうと思ってたんです(笑)。で、実際ボケーッとして過ごしていたんですけど、たまたま『アドベンチャーディバズ』のポーリン(代表の北村ポーリン氏)から、「イベントをやるから手伝って」って言われて。『アドベンチャーディバズ』はトレランだけでなく、ポーリンがカナダで暮らしているときにやっていた、“自由なアウトドアを日本でも広めたい”という熱い志があって。彼女の前向きな思いに巻き込まれちゃった感じですね。それって私がこれまでアスリートとしてやってきたこととは全然違う世界なので、最初は戸惑いもあったけど、3年経って、やっと慣れてきた感じです。

普通の人の感覚にやっとなれた

―アスリートのときは山にいても、アウトドアを楽しむという感じではないですもんね。

そうですね。数日に渡るレースもあるので、リュックを背負って、山を登る装備やキャンプ用品なんかも持っては行くんですけど、それは目的のための手段で。『アドベンチャーディバズ』のイベントでも山にテントを張って、キャンプして料理を作ったりするんですけど、そういうのって自分にとっては、何度も経験しすぎて新鮮味のないことで。それを喜んでもらえると、「ああ、こんなことで喜んでもらえたんだ!」って(笑)。最初のうちは、参加された方が何を知りたくて、自分は何をどの程度までやったらいいのか全然わからなくて。山についても、私が大学時代に登っていた山は八ヶ岳とか雄々しい山ばかりだったんで、対象となる山の低さに、「え、これが山?」って。トレランもどのぐらいのペースで走っていいのかわかんないから、ひとりでぶっとばしちゃってたんですけど(笑)。私にとっては、「これ、走ってないでしょ?」って感じでも、参加してくれた人が喜んでくれているので、「ああ、これでいいんだ」って。レジャー的に山を楽しむという感覚が自分にはまったくなかったので、今はそれがすごく新鮮。

―おもしろいですね。山から離れてみて、初めて山の楽しみを知った、みたいな。

本当に、やっと普通の人の感覚になれたなという(笑)。最近は、旦那といつも近くの河原まで走りに行っているんですけど、そういう毎日の生活のなかで、ちょっと外に触れる時間があるのはいいなと思いますね。うちの旦那は走りに行くと、いい考えが浮かぶことが多いらしくて、煮詰まったり、ちょっと退屈したりするときに、「いい考えが浮かぶかもしれないから、走りに行こうぜ」って言うんですけど、本当にちょっと外に出るだけで、「あ、こうすればいいんだ!」とか、「ちょっとこんなことしてみよう」とか閃いたり、気分がクルッと変わったり、頭のなかがクリアになる。そういうのも、ずっと外を走り続けてきたのにはじめてわかったことなので、これからはマイペースでおそとを楽しみたいですね。

ありがとうございました。

アドベンチャーディバズ

櫻井さんが働く会社『アドベンチャーディバズ』は、自然の素晴らしさ、アウトドアの楽しさを広く伝えるべく、トレイルランニングやアドベンチャートレッキング、登山やテント泊の体験ツアーやイベント、地図の読み方の講習会などを企画しています。初心者から上級者向けまで、さまざまな企画が実施されているので、オフィシャルサイトをチェックしよう!

オフィシャルサイトURL
http://www.adventure-divas.com

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おそとを走るとクリアになれる

櫻井教美さん(Norimi Sakurai)

中学時代は陸上部、大学ではワンダーフォーゲル部に所属。1996年に初めてフルマラソンを走って以来、トレイルランニング、ウルトラマラソンなど、幅広いジャンルのランニング大会で活躍。特に、奥多摩山域で開かれる『ハセツネCUP日本山岳耐久レース(71.5km)』では合計5回もの優勝歴を持ち、8時間54分7秒(2008年)という、女子では唯一となる8時間台のコース記録を保持している。100kmマラソンやトレイルランニングの世界大会での優勝経験も。現在は、アウトドアイベントの企画会社『アドベンチャーディバズ』のスタッフとして活動中。また、ライフワークの手話を生かし、盲ろう者のマラソン伴走としてボランティア活動にも取り組みはじめている。