中谷宇吉郎 雪の科学館

普段、なにげなく眺めているものや、気に留めないもの。それらは、外の世界にたくさんあるはずです。今回の特集では、おそとで見られる自然のもののなかから、雪、石、木を順に取り上げて、それぞれに魅了された人たちのお話をご紹介します。彼らの眼差しや情熱から学ぶことはたくさん。それらを心に留めつつ、今回紹介する3つに限らず、あらゆるものを改めてじっくり自分の目で見つめてみてください。一日のうちのほんのわずかな時間であっても、ひとつのものへ意識を集中してみてください。そこから、何を感じるか。続けるうち、今まで見えていなかったものに気づくはずです。
(撮影/村東 剛  取材・文・編集/福田アイ)


科学者・中谷宇吉郎の雪を見つめたストーリー

世界ではじめて人工雪を作り、雪の性質を突き止めた雪博士・中谷宇吉郎。2012年に没後50年を迎えた現在でも、多くの人が注目する科学者です。今、私たちは、彼が残した随筆から多くの研究過程や成果、そして雪への想いを知ることができます。また、石川県加賀市にある「中谷宇吉郎 雪の科学館」では、宇吉郎の生涯や彼が集めた様々な結晶の写真を目にすることができます。そこで今回は、名著『雪』(岩波文庫)や「中谷宇吉郎 雪の科学館」館長のお話、同館で配布されている学習テキストを通して、宇吉郎の雪に対する姿勢や愛情を確かめ、雪を、これまでよりも深く見つめたいと思います。

雪華の研究が顕微鏡がなければ出来ないと思う人があれば、
それは迷妄である。(中略)
自分の楽しみのために、
雪の降る日一箇の虫眼鏡を持って
それを自分の眼で見ることは無意味なことではない。
それによって自然の工(たくみ)の微妙さを知るに止まらず、
写真や見取図などではうかがえぬ神秘が
観察者に雪に対する新しい興味をもたらしてくれるであろう。
凡ての事象を自分自身の眼によって見ようとする願望、
これがあれば必ずしも専門的な知識や素質がなくともよいのである。

(中谷宇吉郎『雪』岩波文庫)
※雪華=雪の結晶

美しい結晶の写真集をきっかけに、
天からの手紙を受け取って、
いろいろ試して見つめて完成。

「写真では黒白の線しか分からないのであるが、眼で見た時は、細(こまか)い小凹凸があるために、繊細なあの模様の縁に空の光が反射して、水晶細工のような微妙な色が見える」(『雪』より)。これは、宇吉郎が雪の結晶をはじめて顕微鏡で見たときの感想です。透明で変化に富んだ特殊な形は、言葉では詳細に言い表せないほどの美しさだったようです。その後も見続けた結果、日本に降る雪の結晶は、どの国のものよりも種類が多く、美しい意匠であると証明し、さらなる研究へと進みます。

 半生を雪の研究に捧げた宇吉郎は、生まれも育ちも石川県加賀市。そのため、雪は身近な存在でした。特に雪の被害の恐ろしさを知っていることから、科学者として、「雪の性質が本当に研究し尽くされた時、雪は現在のように恐ろしいものとして、われわれに迫らなくなるであろう」(『雪』より)と考えていました。その想いを行動に移させたのは、美しい雪の結晶ばかりを集めた写真集。32才のとき、アメリカの農夫が撮影した3千もの結晶を見て、その自然の神秘に強い感動を覚えたのです。そして、この時期に宇吉郎が雪の多い北海道に赴任したのは、雪の研究にとって良いめぐりあわせだったと言えそうです。

 最初にはじめた研究は、学校にある廊下の片隅での観察です。よく冷え、乾いている硝子板に降ってくる雪を受け、顕微鏡で覗くという方法でした。後に、手のぬくもりを遮断するため手袋をはめ、形が崩れない最適な方法としてマッチ棒の頭を折って毛羽立った先に結晶を付けることを見出し、写真を撮ることもおこないます。さらに、十勝岳の標高約1,060mにある山小屋で写真撮影にも挑戦しました。

 心がけていたのは、科学者ゆえ、結晶の美しさに価値を置かず、自然のなかに見られるあらゆる種類の結晶を集めること。その結果、約3千枚も蒐集することができました。そこから、日本で見られる雪の結晶の一般分類表を作成したのです。

 宇吉郎は、雪の降る日は必ず観察をおこなっていました。けれども、さらなる研究を切望。自然現象を実験室で再現させ、より深くメカニズムを知るために、36才のとき、世界ではじめて人工雪を作ることに成功します。そして、温度と水蒸気の量を何度もいろいろ組み合わせることで、結晶の形を見れば上空の状態がわかる「中谷ダイヤグラム」と後に呼ばれる図も完成させました。

 雪の研究をおこなったことで、宇吉郎は、こんな言葉を残しています。<雪は天から送られた手紙である>。手紙に綴られたのは、結晶の様々な形や模様という暗号。その暗号を読み解けたのは、宇吉郎の雪と雪国への愛情が深かったからと言えるのかもしれません。

(参考・引用文献は、中谷宇吉郎『雪』岩波文庫)

中谷宇吉郎って?

中谷宇吉郎
1900年生まれ。東京帝国大学理学部物理学科で、寺田寅彦に物理実験の指導を受ける。卒業後は理化学研究所の寺田研究室で助手となり、電気火花の研究に尽力。1930年に北海道帝国大学へ。雪の研究を開始し、人工雪の製作に成功。1938年、最初の随筆集『冬の華』と、『雪』を出版。その後の数々の研究が世界にも認められ、1952年、アメリカの雪氷永久凍土研究所の主任研究員となる。グリーンランドでも雪氷の研究をおこなうなどの活躍後、1962年に逝去。

宇吉郎の素晴らしさについて「中谷宇吉郎 雪の科学館」館長・神田健三さんに聞くと「奥深い自然への愛情を持ち、それを解明する喜びを知っていたこと。同時に、時代が求める雪の課題には一見困難と思われることにも、真摯に、勇敢に立ち向かったことですね。世界初の人工雪の成功もそうですが、鉄道線路が隆起する凍上という問題を解決し、飛行機に氷が着く着氷という難問にも立ち向かった。彼の研究姿勢には、寺田寅彦の教えが生きていました。その土地に合った研究を行うことが大事ということ、自然現象の不思議に自分自身が目を開いたときに研究は進むということなどです。(宇吉郎の著作に)「着手の億劫」という言葉がありますが、宇吉郎は、億劫がらずに着手しました。一つ二つと、手を着けてみると、何かが見えてくることを知っていたからです。その過程や成果を詩的な随筆として、わかりやすく書き遺し、現代の私たちを楽しませてくれていることも素晴らしいと思います」

雪の不思議について

雪は、結晶からできています。そして結晶は、水蒸気が氷になったもの。雲のなかで六角柱の氷として生まれ、その後の形は、結晶が生まれてから地上に降りるまでの気温と水蒸気の量で決まります。例えば、水蒸気が多いと複雑で、少ないと単純な形に生長します。そのため生長までの間に気象の変化が多いと、雑多な結晶ができます。

結晶の種類は、宇吉郎が示した分類図を見てもわかるように、想像以上に多くあります。結晶としてよく描かれる六花状の形が降ってくる確率は、ほんのわずか。ほとんどの雪は、いろいろな結晶が結合して降っていますし、地上近くで生まれた結晶は単独で降ってきます。ずっと同じ種類が降り続けることはなく、珍しい種類が1、2分だけ降ることもあるそうです。そして、驚くことに、ひとつとして同じ形の結晶は降ってきません。分類図がすべてではないのです。自分の目で見た結晶が、自分だけのものと言えます。

著書『雪』を読むと、観察や実験の過程が懇切丁寧に記されています。その内容は、試行錯誤を厭わなければ、自分の見たいものを、どこまでも深く見られるかもしれない、という希望を与えてくれるもの。特に、何年にも渡って、続けて見ているうちに、雪の結晶がだんだん大きく見えてくるという体験は印象的です。その不思議な体験は、見続ける人なら誰にでも起こりうると言われています。もしそうなれば、私たちは、さらに結晶の世界を奥深く見たくなることでしょう。

(参考文献は、中谷宇吉郎『雪』岩波文庫)

雪の観察方法

雪の観察方法
「雪の結晶の大きさは、小さいもので0.1mm程度、大きいものになると5mm以上あるものもあります。ですので、肉眼で見ることのできる結晶も少なくありません。最も観察に適している場所は、スキー場など内陸で標高の高い場所。といっても、都市部の平地でも観察できないわけではありません。雪が降れば、朝の気温の低いときに外へ出て、ビロードなどの毛羽立った黒系の布を貼った板に受けるか、あるいは着用しているセーターに付着した雪をじっくり見てみてください。見えないと思わず、見てみましょう」
中谷宇吉郎 雪の科学館

雪の科学館

業績以外にも、宇吉郎の生涯を多角的に知ることができるミュージアムです。人気は、雪や氷について理解を深めることができる実験。人工雪装置内にできる結晶はもちろん、雪の赤ちゃんとも言われるダイヤモンドダスト、氷が内部から融けるときの形(チンダル像)などを見ることができます。宇吉郎の研究や生涯を紹介した映画も上映。併設された水辺のカフェ「冬の華」は眺望がよく、宇吉郎の随筆を読みながらティータイムを楽しみたいものです。建築家・磯崎新による雪をモチーフにした建物も見ごたえあり。来館のおすすめ時季は、やはり、冬。訪れた際に雪が降り、天から送られた手紙を受け取ることができたら幸運といえるでしょう。

雪の科学館
雪の科学館
雪の科学館
雪の科学館
雪の科学館
雪の科学館

住所:石川県加賀市潮津町イ106番地
TEL:0761-75-3323
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:水曜日(祝日は開館)、1月1日
URL:http://www.kagashi-ss.co.jp/yuki-mus



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