受け継がれているものを、まず知ることから。

私たちの生活や文化、考え方の根っこの部分を形づくるものは、気候や地質などおそとの様々な要素、つまり「風土」です。そんな風土に根ざした、古くから受け継がれているものはたくさんあります。では、それらが、なぜ長く受け継がれているかを考えたことはありますか?ここへ気持ちを向けることは、今の不安定な日本において大事なことであり、生きる上で何かしらのヒントを得られるかもしれません。そこで、この特集では、OSOTOが興味を抱く、受け継がれているものと、その保存や継承、さらには研究に力を入れている方のお話を紹介します。まずは知ることから。そして、OSOTOと一緒に考え、おそとへ足を運び、少しだけでも受け継ぐことに関わってみませんか?
(取材・文(人物)/森田香子 編集/福田アイ)


「地域行事」の“本質”を知って、人間ならではの“本能”を受け継ぐ。

 いま日本では、自分の生まれた育った地域に目を向ける人が増えています。ルーツとなる場には、いったいどんなものがあるのだろう?どんなものが受け継がれているのだろう?大人になった目と心で誇れるものを探し、あるいは新たに生み出すことで、何かしら良い方向へと向かっているようです。

 そんななかで、地域に受け継がれてきたことのひとつとしてあげられるのが、行事です。地域を舞台におこなわれている行事は、全国的に名高いものから、ひそやかに続けられてきたものまで、多種多様あります。そこから、受け継ぐことの意義を知ることができるのではないだろうか?さらには、地域にとって、自分にとっての行事の意義を理解できないだろうか?

 そこで、民俗学者であり、國學院大學教授の新谷尚紀さんにお話を聞きました。先生のお話からは、行事を突き詰めていくと、驚くことに、「人間の本能」と深く関わりを持ち、私たちに予想を超える大きな効果をもたらすことがわかりました。

 そして、全体を通して、この特集の最後にふさわしく、食にも文化にも、もっと言えば、すべての「受け継がれているもの」に相当するお話となりました。まさに、生きる上でヒントとなるものを得られると思われます。どのようなヒントなのでしょうか。まずは、行事が地域にもたらす役割についてお話ししていただきます。

民俗学者・新谷尚紀さんのお話

取捨選択をしつつ受け継いでいる地域は、非常に強い結束力がある。

 地域の行事が果たす役割をひとことで表すなら、“結集”と言えます。行事を通じて、土地の人たちを結集させ、地域をひとつにまとめているのです。これは私がこれまで民俗学の調査をしてきて感じていることですが、伝統的な行事のある村や島は、地域一帯となって積み重ねてきた長い歴史があるので、基盤がしっかりしていて非常に強い結束力があります。

 ただ、伝統行事は毎年同じことをするので、マンネリ化して飽きてきますよね。それならやめるのかというと、やめない。やめられない。やめてしまうと、その地域は、“その地域”ではなくなってしまうからです。伝統行事と地域の関係は、歴史の積み重ねが大きいほど、行事が地域を結集して固め、逆に地域は行事を守り伝えようとする、相互作用が起きてくるのです。

 そうは言っても、伝統を受け継ぐというのは、簡単なことではありません。たとえば昔、愛知県奥三河地方に伝わる中世以来の古い行事「花祭り」をおこなっている村のひとつが、佐久間ダムの開発で沈むことになり、住民たちは豊橋など都市へと移住しました。自分たちの村に伝わる「花祭り」の伝統を絶やすまいと、住民たちは新天地でも「花祭り」を催すわけですが、都市では夜を徹しての祭は騒音になるし、火を焚くこともできない。お宮もなく、村とはしつらえが全く違うために苦労しています。今の環境になんとか適応させて残そうとはしているけど、風土が変わると存続は難しいかもしれません。

 あるいは、沖縄県の久高島には、女性が神的な力を授かる通過儀礼として「イザイホー」という、12年に1度おこなわれる秘祭があるのですが、それはもう後継者がおらず、途絶えています。一方、奈良県や滋賀県によく見られる「宮座(みやざ)」。これは地域の神社の祭祀に携わる特権的な集団のことで、構成員の男性が1年交代の当番制で神主を担うのですが、最近はみんな仕事もあって忙しいし、正直、そういうことが面倒だというわけで、担い手が減ってきています。そこで、宮座を構成するメンバーに新しい人たちの参加を認めることにした例もあります。

 つまり伝統を繋ぐには、何を伝え残し、何を捨てるかという選択を常に迫られているわけです。伝統を受け継ぎ、伝えるということは、そういう苦難のなかで、少しずつ変化を加えていくものなのです。

滋賀県竜王町須惠の宮座。神社の祭礼の場で、長老衆を上座にして年齢順に着座する宮座の構成員。

奈良市大柳生の宮座。トウヤ(当屋)や明神さんと呼ばれる、1年神主の長老。

(国立歴史民俗博物館教授 関沢まゆみ氏提供)

地域の行事は都市から伝わり、風土を反映しつつ、アレンジされてきた。

 日本で一番古い地域の行事というと……実は定かではありません。神事であれば、伊勢神宮の式年遷宮はかなり古くからあって、平安末期の書物ですがそれにはっきりと690年からはじまったと記されています。ところが地域の行事というのは、そうした記録を残す人がいなかったため、正確な発祥の時期はわからないんです。ただ、儀礼のつくりや歌われている歌などに注目すると、かなり古くから伝わっているとわかるものがあります。

 たとえば、中国地方の山間部に伝わる「花田植(はなだうえ)」。特に国の重要無形民俗文化財に指定され、最近はユネスコの無形文化遺産にも登録された広島県北広島町に伝わる「壬生の花田植」は、結構古いです。

 これは、飾った牛に代掻き(しろかき)※をさせたり、囃しや歌を指揮する“サンバイ”に従って、男性は太鼓や笛を鳴らし、女性は早乙女として田植歌を歌いながら田植えをしたりする行事で、田の神様に豊穣の祈りを捧げつつ、重労働の田植えを楽しもうという目的があります。ここで歌われている田植歌は室町時代のもので、そのルーツをたどると、京都で流行った小唄に行き着きます。都の流行り歌が地方に広がり、地域に留まって今に伝わっているのです。

 近畿地方、とりわけ京都・大阪・奈良といった古代中世の先進地域にある大きな神社で田植えを神事としていたのが、地方に広がったというケースがよく見られます。それが中国地方では、神社ではなく地元の有力者が主催し、農民中心の行事へと変化させたというわけです。

 同じ田植えの行事でも、地域によって随分と違いがあります。広島県の東側にあたる備後地方に伝わるものは、とても真面目。たとえば、広島県庄原市の「塩原の大山供養田植」は、鳥取県の名峰・大山が牛や馬を守ってくれるという信仰を背景に、太鼓や歌で囃しながら田植えをしつつ、田の神様への祈りと牛馬供養をおこなうという宗教色が強い行事です。

 一方、広島県の西側にあたる安芸地方に伝わる、先ほどの「壬生の花田植」や「安芸のはやし田」などは、女性をからかう歌や男女の色恋の歌が歌われたり、太鼓の打ち手がバチを投げ合って交換する技を見せたりと、華やかで娯楽性が強い。

 そんなふうに、都市から伝わってきた行事が、それぞれの農山漁村の風土、つまり生業を中心に環境と人間とが交流してきた長い歴史の積み重ねのなかで、地域ごとに培われてきた人びとの気質や個性、それらを反映しながら、それぞれ違った形にアレンジされて、今に残っているのです。

※代掻き=田んぼに水を入れ、土を細かく砕き田植えに備える作業

人類は“死”を発見した種だから、信仰色を持つ行事を続ける。

 人がつくる行事というのは面白いもので、信仰から発したものは、いずれ娯楽の要素を持ちはじめ、娯楽からはじまったものは、必ず信仰に行き着きます。縄をなうように、自然と両方の要素を持つようになっていく。「壬生の花田植」も、最初は田の神様に感謝するという名目のもと、土地の大地主が大判振る舞いをして、「今日は飲めや食えや」と農民を喜ばせる娯楽イベントでした。それが昭和51年に国の重要無形民俗文化財になった途端、近くの壬生神社でお祓いをするようになって、宗教的な要素が加わったんです。

 一方、厳かな行事は、少しずつ楽しい要素を足して参加者を増やすなど、変化させていきます。楽しくないと、続きませんからね。そういう意味では、今、地域でおこなわれている、様々なまちのイベントも、いずれは宗教性を持つようになるかもしれません。たとえば震災で亡くなった方への慰霊というテーマを持たせたり、城下町の祭では戦国武将の顕彰(けんしょう)※とともに、みたまの供養という要素を持たせたりと、霊的なものと結びつけるようになっていく可能性は大きいです。

※顕彰=功績を認め、その業績を一般の人に周知すること。

 というのも、人は自分たちのしていることに意味を見出し、そのことを善きものとしたいという根本的な欲求があるからです。イベントも単なる人集めや商売ではなく、何かスピリチュアルなもの、しかも善なるもので包みたくなるのが人です。それは人間が霊的なもの、神様的なものを信じる種だからと言えます。

 そういう種になった理由は、太古の昔、人類は“死”を発見したからだと私は捉えています。多くの猿たちは気づいていないけれど、私たちの先祖は進化の過程で“死”を目の当たりにし、知ってしまった。だからこそ人類は死を恐れ、お葬式をし、お墓をつくってきたのです。そして死の発見は、同時に“生”の発見と“死後”の発見をもたらしました。つまり霊魂観念と他界観念を発生させたわけです。霊的なものを信じる、信じないに関係なく、人類はみんな、いずれ死ぬということを知っています。だから人種を問わず、人は神様を祀ったり、お祭りをしたり、おまじないやゲン担ぎをしたりと、本能的に行事をしたくなる。そして、それを何かと霊的なものに結び付けたがるのも、宗教に熱心だからではなく、死を発見したからとってしまう行動なのです。

伝統を受け継ぎ伝えることは、生きた証であり、救いや喜びとなる。

 信仰と娯楽の両方を持つ行事は、人々にとって楽しみや喜びであり、同時に感謝や祈りのあるものとして、地域で受け継がれていきます。そうして伝統行事というものが生まれるのです。伝統行事を持った地域は、他の場所にはないものを持っているというプライドを持つようになります。それが「絶対に自分の代では絶やさないぞ」という思いになり、リレーのように次の代へと繋ごうという意思が生まれてくるのです。人というのは、この“たすきを繋ぐ”というのが好きですよね。みんな、受け継いだものは、次に繋ぎたいと思っている。それは伝統という時間の流れのなかで、「あのとき、私はその行事に奉仕したのだ」という事実が自身の生きた証にもなるし、それが救いや喜びとなるからでしょう。つまり、受け継ぎ、伝えることは、人の生きがいになるわけです。

 最近は、新興住宅地や集合住宅に住む人が増え、伝統的な行事を身近に感じられない人も多いと思います。ただ、行事には信仰と娯楽の両面があるので、別に楽しみに行っても構わないのです。京都の祇園祭なんて、見に行くだけでも楽しいし、それが心身の祓え清めにもなっています。それに、いろいろな伝統行事を見に行って、そこでどんなふうに伝統が受け継がれているのかを見るだけでも意味はあります。伝統行事を繰り返し見るうちに、何かしら自分のなかに伝統あるものと関わりたい、何かを受け継ぎ、伝えたいという思いが生まれてくるはずですから。

 また、繰り返し行くことで現地の人と親しくなって、見る側から参加する側へと誘われることもあるかもしれません。今は伝統行事も外部の人に関わってもらうことで、存続させようという動きが強いですからね。まずは足を運んでみて、楽しんで、伝統を知るきっかけをつくってもらえればと思います。

祇園祭

祇園祭


新谷尚紀(しんたに たかのり)さん

民俗学者、社会学博士。國學院大學文学部教授。国立歴史民俗博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。1948年広島県生まれ。柳田國男・折口信夫らの築き上げた日本民俗学を継承し、それを「伝承分析学(traditionology)」として再構築する立場からフィールドワークを主とした研究にあたっている。現在は、その研究を受け継ぐ弟子の育成に尽力中。長年に渡り多数の著書を出版し、主な著書に『なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く』(文春新書)『民俗学とは何か―柳田・折口・渋沢に学び直す』(吉川弘文館)、最新刊に『伊勢神宮と三種の神器-古代日本の祭祀と天皇』(講談社選書メチエ)がある。


  • 能の“変化”を知って、 “文化”を受け継ぐ。

日本の伝統芸能の原点とも言われ、ユネスコの無形文化遺産に指定されている「能」。起源は定かではないものの、平安時代に生まれた豊作を祈る民族芸能「田楽」や物まねの芸能「猿楽」などが影響し合い、変遷し、芸術性を高め、室町時代に、世阿弥によって大成されたと言われています。その後、幾度となく衰退の道を辿るものの、保護する人などの出現により、約600年もの間、受け継がれてきました。とはいえ、現在も、存続の危機に瀕しています。このことを憂慮し、普及のために独自の活動をおこなう能楽師が現れています。

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  • タネを知って、“食”を受け継ぐ。

私たちの生活に欠かせないものといえば、食。命を引き継ぐ上でも欠かせないものです。その最も根幹にあるタネ、とりわけ野菜のタネに、今注目が集まっていることをご存知ですか?OSOTO編集部がそのことを知ったのは、今春の特集で紹介した「森の集い」でタネを交換する会がおこなわれていると聴いてから。最近では、カフェや料理店などでタネに関するイベントが増えていることにも関心を向け、タネの現状について知りたいという思いがますます高まっていました。

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