普段、なにげなく眺めているものや、気に留めないもの。それらは、外の世界にたくさんあるはずです。今回の特集では、おそとで見られる自然のもののなかから、雪、石、木を順に取り上げて、それぞれに魅了された人たちのお話をご紹介します。彼らの眼差しや情熱から学ぶことはたくさん。それらを心に留めつつ、今回紹介する3つに限らず、あらゆるものを改めてじっくり自分の目で見つめてみてください。一日のうちのほんのわずかな時間であっても、ひとつのものへ意識を集中してみてください。そこから、何を感じるか。続けるうち、今まで見えていなかったものに気づくはずです。
(取材・文/井口啓子、撮影/出原和人、編集/福田アイ)
最近、いつ「木」を眺めましたか?わざわざ自然豊かな場所へ出向かなくても、ちょっと外を歩けば、目に入ってくる「木」。けれども、そんな身近さゆえに、毎日のように家で花やグリーンを楽しんでいるという人でも、木となると新緑や紅葉のときぐらいしか、じっくり眺めることはないのではないでしょうか。そんな地味な存在でもある「木」を日々愛で、慈しみ、その知られざる生き様を伝えるべく、スケッチを描き続けている平田美紗子さんに、お話を伺いました。いつも同じ場所に変わらない姿で静かに佇んでいる「木」ですが、裏の顔があるそうなのです。それは、果たしてどんなものなのでしょう?
平田さんと木のつきあいは、物心ついたころから。自然に恵まれた北海道で生まれ育ち、山好きのご両親の影響もあり、山の木々に親しんできました。やがて、北海道大学農学部の森林科学科に進み、卒業後は国家公務員となり、森林官として勤務。6年間もの間、各地の山を調査して歩いてきました。
そんなつきあいの深さゆえ、私たちの知らない木の本性を知る、平田さん。「おとなしそうに見えて、実は戦略家なんですよ~」と、いたずらっぽく笑います。
「木は人間や動物とは違い、自分で動き、生きる環境を選ぶことはできないけれど、ただ何もせずそこに立っているわけではありません。偶然種が落ちた場所で、与えられた環境を受け入れて成長しなければならないからこそ、どうやってうまく栄養を得るか、常に戦略を立てながら生きているんです。
例えば、日陰に生えた木は、太陽の方向にむかって枝を張って、たくさん葉っぱを付けることで、なるべく多くの日光を受けようとします。スッと放射状に伸びた枝や、左右互い違いに生えた葉も、人間はきれいとかおもしろいとか言うんですけど、いかに効率よくたくさんの日光を受けて、養分を得たり、種を作ったりして子孫を残すかという、戦略なんです」
枝葉の形ひとつにも、じつは木の戦略があるとは…!それだけで木の見え方が変わってしまいそうですが、平田さんはさらに、ぱっと見るだけではわからない部分、根っこや冬芽のなかにも、生存をかけた様々な戦略があると言います。
「木の下にある落ち葉をめくると、肉眼でもたいてい菌糸を見ることができます。じつは、木と菌ってセット。日本のほとんどの木の根の先の部分には菌と共生している菌根という部分があって、そこから菌糸を地中に広げることで、栄養を集めてるんです。また、この季節に見られるのは冬芽。葉っぱの落ちてる木も多いから、地味で何の木だかわからないし、つまらない、って思うかもしれないけど、冬芽って、モコモコとしたものを付けたのもいれば、むき出しのもいて、形もいろいろで楽しいんです。この冬芽も、実は木が冬を生き抜くための戦略で(笑)。
例えば、ヤマモミジは春になると冬芽の外にある皮の部分が落ちて、葉が出てくるんですけど、三日ぐらいで一気に出てくるんですよ。実際に冬芽を分解してみると、このなかに葉や花や実となる部分が全部入ってて。よくこの小さいなかにこれだけのものが入ってるな~って。じっと隠れて、芽を伸ばすチャンスを虎視眈々と狙ってると思うと、おもしろいでしょ?」
地下で秘かに勢力を広げたり、隠れてチャンスを伺ったり…だなんて。健気というか、したたかというか。暗躍する忍者やスパイのようでもあり、木の生き様は思っていた以上に、ドラマチックで人間くさいようです。
そんなパッと見ではわからない生き様を、より深く観察し、伝えるための方法が、平田さんにとってはスケッチなのだと言います。
「お話してきたように、木がその場所でそういう姿をしているのには、ちゃんと理由があります。木の姿には木の生き様が宿っています。なので、その姿をありのままに嘘のないように描いて伝えたいんです」
もともと「絵描きか生物学者になりたかった」というほど絵が好きで、学生時代から研究のためというよりは趣味で、スケッチを描いてきた平田さん。作品には、いわゆるボタニカルアートと呼ばれるような、木の枝葉や花や芽といったパーツの精密画もあれば、木の全体像や、木が生息する環境も含めて描いたイラスト風のものもあります。どちらも各々の木ならではの姿がありのままに生き生きと描かれ、その特徴に秘められた生物学的理由をわかりやすく解説したコメントもあいまって、植物に疎い人でも、思わず引き込まれる魅力があります。
作:平田美紗子
「基本的に現場で観察をして、写真に撮って、家でさらにそれを見ながら、まず何を伝えたいか考えます。この木は枝ぶりがおもしろいから、それが伝わるように描こうとか。その上で構図を考えたり、写真だけでなく図鑑を参考にしたりして描くこともあります。一枚の完成までには、あ、こんなふうになってるんだ!って発見があることも多いんですよ」
「絵に描くとなると、普段よりもじーっと見るじゃないですか?そうすると最初は、この葉っぱがきれいだし描いてみようって軽い気持ちでも、よく見れば、たくさんの線が刻まれてることに気づいて、なんでこんなのがあるんだろう?って。その疑問から、この線は、木が養分だったり水分だったりを集めるための、人間でいえば血管みたいなものだってことに思い至る。一歩踏み込んで観察して描くことで、自然に見えてくるんですね。
だからスケッチって観察だと思うんです。私自身、描く行為のおかげで、木をより深く観察できるようになったし、知識ではなく、自分で見て、疑問に感じて、発見したことってリアルだし、説得力がありますよね。こういう経験って、人生のいろんな場面で応用が効くと思うんですよ。だから、生きていくなかで、このような経験をたくさん大切に取っておきたいなって。私の場合、その手段が木のスケッチなのかも知れませんが、疑問の種はいろんなところに転がっていると思うので、木に限らず、ちょっと気になったものがあれば意識して観察してみると、きっと思いがけない発見があるのではと思います」
もちろん絵を描くのは苦手という人でも、ただ漠然と見るのではなく、平田さんのスケッチのように一歩踏み込んでじっくり観察することで、木の生き様をリアルに感じることはできます。与えられた環境で、健気に、したたかに生き抜く木の姿に、私たち人間が学べることはきっと少なくはないはずです。
作:平田美紗子
「“木を見て森を見ず”という言葉がありますが、どんな木でも、その木一本だけで成り立つものはないと思うんです。道端にぽつんと生えているように見える木でも、太陽や水や風、虫や鳥、微生物や菌の世界の影響を受けていて、彼らによって養分をもらったり、与えたりという相互関係のなかで生きている。よく“人間はひとりでは生きてはいけない”といいますが、そういう自然の生態系のなかで生きているという意味では、木も人間も一緒なんです。
どんな巨木も、初めはたった一粒の種からスタートします。与えられたものをいかに生かして、自分を成長させていくか…。大きく育った木には、動かず、逃げ出さず、全てを受け入れる度量の深さを感じます。そんな木の姿を知って、私も与えられた環境で精一杯、自分のできることをやっていこうと思うんです」
1978年、北海道生まれ。自然のなかでも、特に菌の世界に魅せられ、北海道大学農学部の森林科学科で菌根を研究し、卒業後は林野庁に。森林官として群馬県、静岡県などを転々とし、山を調査して歩く傍ら、木をはじめとする自然のスケッチを作成・発表。ウェブサイト「お山歩雑記」では、その膨大なスケッチと共に、日々の暮らしぶりを紹介している。現在は育休を取り、一姫二太郎の母として奮戦中。東京都八王子在住。