気持ちや考え方が「しっかり安定していて、危なげなく、落ち着いている」ことを言い表す慣用句「足が地に着く」。漠然とした不安を感じている人が多い今の世の中では、足が地に着く状態でいることが必要ではないでしょうか。そのためには、どうすればよいかと思い悩む事に時間を費やす人も多いことでしょう。そこで、OSOTOは、ひらめきました。実際に、多くの時間、足を大地に着けて身体を動かして過ごすと、気持ちや考え方も足が地に着くようになるのではないか。この考えを確かめるために、ここ数年の間に仕事の場を畑や山へ移した方々を訪ね、気持ちや考え方の変化を中心にお聴きすることにしました。また、足が地に着いている人の身体のことや足を地に着ける方法を「からだの専門家」にお聴きします。
(撮影/伊東俊介 編集・文/福田アイ)
最初にお話を伺ったのは、大阪府の最北端に位置する能勢町で2009年から農業をはじめた植田歩さんと、2012年から同町で農業をはじめた今堀淳二さんです。農家の基本的な生活は、太陽が昇れば仕事をはじめ、太陽が沈めば仕事を終えます。そのため、一日の仕事時間は、夏場が長く、冬場は短くなりますが、来る日も来る日も、畑という大地に足を着けて働きます。そんなふうに季節や天気を含めた自然を感じながら生きるようになられたお二人のお話をお聴きしていると、やはり、気持ちや考え方も足が地に着いてくるのだと確信しました。そう思えるキーワードは、意外かもしれませんが、「諦め」。彼らのような生き方をするからこそ必要となる前向きな諦めです。いったい何を諦めたのでしょうか。お話の内容は、就農の理由、畑からの学び、現在の安定感について。たくさんの名言は、都心で生活する人にとっても、より良く生きるヒントになることでしょう。
植田歩さん(以下、植田) 僕は、やりたいことが何もなく生きてきて、何も考えず、こだわりもなく、お金を稼ぐためだけに仕事をしていたんですが、続けているうちに「何やってんねん」と、そういう自分が情けなくなって。「何かしたい、何がしたいやろう」と自問していたら、「食べる物は、おいしいものがいいな」という答えに行きついて。いろいろ調べて有機野菜の存在を知ったんですが、当時は高価に感じたので、そのために稼ぐのは大変で嫌だなと思い、6年前にプランターで家庭菜園をはじめました。でも、育て方がわからない。調べていると能勢町に有機農業を教えてくれる人がいるというので休日に通いました。でも、働きながらそこで家庭菜園をするのはしんどいんですよね。それなら、仕事にしたほうがいいかなという結論に至りました。
今堀淳二さん(以下、今堀) 僕は大学を出てフリーターをした後に、飲食の仕事に就いていたんですが、限界を感じていて。次の仕事はどうしようかと思いながらハローワークに行ったときに、「農業しよう!」というチラシを見つけたのが就農するきっかけです。当時、母が突然亡くなって、命について考える機会があったこともあり、「いろんな命と関われそうで、おもしろそう」と興味を持ちました。そこから農業関連のイベントへ行ったり、農家さんに会いに行ったりしていると、どんどん惹かれていったんです。というのも、みなさん、「農業は止めとけ~」と言うけど、表情が明るくて、めっちゃ楽しそうで。こんなふうな生き方をやっていけたら、一回きりの人生、すごい素敵やなと思いました。
植田 日々、精一杯。それが現在の状況なんですが、仕事しなければというよりも、野菜が気になるので畑に行くという感じですね。子どものころから、ひとりで考えて、試行錯誤して、何かを作ることが好きだったこともあり、自分でやりやすいようにどんどんやっています。それが、とても気楽ですね。植えるときは、今回はこの間隔で、次はこの間隔でとか、いろいろ試してみるんですが、野菜づくりには、ルールがないんですよね。だから、いろいろ工夫して、狙いどおりにうまくできたら「ヨッシャー!」、よくわからないけれど、うまくできたら「ラッキー!」というのが楽しいですね。天候によっても出来ばえは変わりますから、今年うまくいったからといって、来年も同じようにしてうまくいくわけではないんで、ゴールはないっすよ。ある程度教えてもらっても、正解はわからないですし、どんだけ凄い人でも、どれが正解かわからないでしょうね。
今堀 仕事しているという感じは僕もないですね。畑に行かないといけないという義務感もないです。毎日一生懸命生きているというのが一番近い感覚ですね。僕らは季節労働というか、太陽や野菜のリズムをつかみながらやっているんですけど、そうやっていると、自然体でいられる、自分でいられるという気が僕はしています。太陽が昇ったら、絶対に沈みますよね。夏が来たら、再び夏が来ることはなくて、秋が来ますよね。大きな自然のリズムがあって、そのなかに僕らが居ると、僕らも自然でいられるというか。そう思えたことで、精神的に安定していると感じますね。それに、「待つ」ということに対しても抵抗がなくなってきました。僕は大阪の泉州の生まれなので、その地の気質のまんま苛ち(いらち:短気)なところがあるんですが、今は、何事にも「そういうもんだ」と、待っていられるようになってきました。野菜でいうと、要所要所で然るべきことをしてやると、3ケ月も待っていたら、絶対に成長してくれるものだし、そのリズムが身に付いてきたら、イライラしないというか。時間も、いろんなものも、自然に流れて行くものと思えるようになったので、やりはじめてからは、いろんなことをだいぶ受け入れられるようになりましたね。台風でビニールハウスが壊れても、しゃあない(仕方がない)。受け入れるしかない。そういうものなんです。それは、割り切りというか、諦めというか、達観というか。そういう感じを持たざるを得ない気がします。
植田 そうですね、諦めるしかない。諦めてますね(笑)。台風で被害があったら、もうどうしようもないんです。夏の台風の被害は本当にひどくて、初めて心が折れたと言ってもよいほどだったんです。台風で被害に遭うと、一歩間違えたら、うつ病になると思うんですよね(笑)。そこで諦められるかどうかって、結構大きいですよ。諦めないと、考えこんで、出口のないトンネルに、はまってしまうような気がします。ほかにも、太陽が昇ったら働いて、太陽が沈んだら仕事を終えますが、その太陽の動きを僕らは変えられない。自然が相手だと、怒ってもしょうがないことが多いですね。畑の土が粘土質なんで、歩きにくいんですが、それは、しょうがないですよね。うまくできなかったときは、たまにひとりで怒っているときはありますけど、配達する車のなかで文句を言って発散したり、畑でもひとりで発散したりして、それはそれで、そこで終わり。僕らの言う「諦める」というは、ポジティブなことなんです。
今堀 僕の師匠が、畑の作物がダメになったときに「しゃあないな」って言うだけで済ませたときがあって、そのとき僕は、「ちょっと待って待って!全部ダメになって、しゃあないで済むの?」と思ったんですが、師匠でも失敗するし、ダメになったら、次は同じようにならないようにしていくだけで、「しゃあない」と諦めていくしかないのかもとも思いました。それは、すごくタフなこと。そういう度量を身に付けていきたいと思いましたね。今は、希望的観測を含めると、自分もそうなってきていると思います。諦めは、絶望ではなくて、生きていたら、また次がある、つまり次へのステップということです。
今堀 足が地に着いているか?と聞かれると、自分ではイエスと言いにくいところがありますね。僕は結婚していないし、家を持っていない、土地もない、経済的にもしっかりしていませんから。でも、同時にですが、農業をやっていると、よほどの自然災害や事故がない限り、命まで奪われることはないと感じています。畑にあるものを食べていたら、飢え死にしませんし。そういう意味での安定はあります。とはいえ、人間、いつ死ぬかわからない。だから、毎日一生懸命生きたいと思うし、そうしたいですね。命までは奪われないだろうという安心感を持ちながら、今の生活をゼロから確かなものにしていくことには、やりがいがあり、クリエイティブやと思いますね。
植田 農業って、地域のお世話になってできる仕事なので、地域にいろいろと貢献できるようにしたいんですね。迷惑をかけていることが多いので、ちゃんとしないといけないと思うんですが、そう思えば思うほど、今までちゃんとしてなかったと思うし、まだまだちゃんしないとあかんなと思います。だから、今から思ったら、1年前の僕は、足が地に全然着いていないと思いますね。まだまだ満足できていないので、もっともっと足を地に着けていきたいです。それに、農業は、自然まかせな仕事なので、そういう意味では、どう考えても安定していないですよ。でも、自然が安定していないことは当然のこと。想定外なことがあることを想定しているから、どんなことがあっても、「しゃあないな」と思えているということでは、安定しているといえば安定はしていますかね。
植田歩さん
今堀淳二さん
同コンテンツのvol.17「がんばらないで健やかに」にご登場いただき、心と身体がワンセットであることを教えて下さった「からだクリエイトきらくかん」代表の奥谷まゆみさん。心理療法と整体を学んだのち、身体を観察することから、ひとりひとりに合うエクササイズを見出すという独自の整体法を考案した整体師です。そこで、今回もご登場いただき、慣用句「足が地に着く」と実際の足との関連をお聴きすることにしました。すると、やはり、心と身体は繋がっているとのこと。又、「心を変えたいなら、身体を変えた方が早い」という考えを持たれているので、実際の足が地に着くようになるエクササイズや身体の使い方を教えていただきました。