様々な人と交わって、今日を楽しく遊ぶこと。

目まぐるしく変化する日本の社会では、「生きる力」が強く求められるようになりました。そんななかOSOTOでは、折に触れて、おそとで過ごすことが私たちにとっていかに大切かをご紹介してきました。そこで今回は「子どもの生きる力」に焦点を当て、子どもたちに向けた活動をおそとでおこなっている方々にお話を伺います。そもそも生きる力とは何なのか?また、生きる力は、おそとでいかに育まれるのか?家庭で、職場で、地域で、「人が育つ」環境づくりを担う大人のみなさんにとっても、思いもよらない考え方や価値観に目の前が明るくなるかもしれません。
(取材・文/森川和美 撮影/大坊 崇 編集/福田アイ)


様々な人と交わって、今日を楽しく遊ぶこと。

子どもたちが自由に遊べる場所が少なくなってしまった…。そんな時代の流れを受けて、子どもたちが自由に遊べて、自分たちで遊び場を作っていく“冒険遊び場(プレーパーク)”(※)が各地で続々と誕生しています。今回はそのなかのひとつで、“人にやさしいまち、人がやさしいまち”を目指し、子どもたちの“居場所づくり”に力を入れることで、多方面から注目を集めている「NPO法人ゆめ・まち・ねっと」主催の「冒険遊び場・たごっこパーク」を訪ねました。そこから見えてくる「生きる力」とは?代表の渡部さんが考える「生きる力」とは?

※冒険遊び場(プレーパーク)=禁止事項をつくらず、いつでもだれでも参加でき、子どもたちが「やってみたいと思うこと」を実現させたり、自分自身で「遊び」をつくったりする“遊び場”のこと。子どもたちの生活圏内にある公園等を利用するところが多い。日本の場合、運営者は住民が主で、専門職のプレーリーダーが遊べる環境を整えます。世界最初の冒険遊び場は、1943年にデンマークに誕生。後にイギリスで流行し、世界中へ広まりました。日本では1970年代半ばから草の根的に広がり、1990年代後半からは飛躍的に増加しています。(参考サイト:NPO法人日本冒険遊び場づくり協会公式サイト)

開催10年目を迎えた富士山麓の遊び場

 静岡県富士市にある田子(たご)の浦港が名前の由来になっている「冒険遊び場・たごっこパーク」(以下「たごっこパーク」)は、同市内の島田公園という木々に囲まれた大きな都市公園の一角で、ほぼ隔週(長期休み期間は毎週)土・日に開催されています。近所の子どもたちや地域の大人たちが集まり、自由に遊んで喋って、ときには焚き火で何かを焼いて食べて過ごせる遊び場として、今から10年前に誕生。当初は単に子どもたちが遊べる場所を提供するためにはじまった市民活動ですが、参加費や親の承諾は必要とせず、行きたいときに行けるという自由な雰囲気のおかげで、今ではどこか生きづらさを感じる子どもたちの居場所にもなっているようです。そこで今回は代表の渡部達也さんのお言葉に甘えて、お昼から夕方にかけてほぼ半日、遊び場にゆったり身を委ね、どのような場所なのかじっくり味わわせていただきました。

古き良き昭和の下町の路地風景が広がる

 島田公園に到着すると、広場の奥のほうに、子どもと大人が集まっています。近づくにつれ焚き火の匂いがしてきます。7、8人の大人たちは、囲炉裏端を想わせる焚き火の周囲に座り、なにやら楽しげにお喋り中。子どもたちは、懸命に木登りをしている子、リヤカーに人を乗せて走り回っている子、どろんこ遊びをする子…どの子も自由自在に自分のやりたいことをして楽しんでいます。カップラーメンや駄菓子、手作りお菓子など食べるものもたくさん用意されているので、お腹がすいたら自分でお金を払って好きなものを食べることができます。この自由でオープンな雰囲気は一体なんだろう…キャンプ?子ども会の集まり?いやいや、どれもしっくりきません。強いて例えるなら、子どもが駆け回る横でおじさんが将棋を指し、お母さんたちが井戸端会議をしているような、古き良き昭和の下町の路地の風景…みたいな。

年齢の隔たりなく入り交じって遊べる場所

 公園には、これといった遊具はなく、「たごっこパーク」の備品としてノコギリやカナヅチなどの工具、木クズなどの廃材、クギやネジ、古くなった車イス、リヤカー、ショベルなど、普段子どもがあまり手にすることのないモノが置いてあります。そして遊びの一環となりうる焚き火も。それらを使ってどうやって遊ぶのだろう?様子を見ていると、年上の子が下の子にノコギリの引き方を教えはじめました。何を作るのかはさておき、自然とそのようなコミュニケーションが生まれ、遊びながら道具の使い方を学んでいるようでした。そんなふうに、年齢の隔たりなく入り交じって遊んでいます。ちなみに、この日やってきた子どもの年齢は、下は3歳から上は19歳まで。入れ替わり立ち替わりメンバーは変わるものの、常に12、13人が集っていました。

大人と子どもがゆるくつながり過ごすことのあたたかさ

 この日最年少の3歳の子が、焚き火の燃えカス入れを触ろうとしています。誰か止めるでしょうか?いえ、触りたいように触らせます。するとやっぱり見事にひっくり返してしまいました。灰が舞い上がり子どもは渋い顔、おまけに服も手も灰だらけ!そんな様子を大人たちはあたたかく見守っています。その子もなんだか楽しそうに手をパンパン叩いて笑っています。大人目線で危険と思えることも、子どもにとっては楽しい遊びのひとつ。見守る大らかさが子どもの楽しみにつながるんだと実感した一瞬でした。そんな風に子どもと大人がゆるくつながり、好きなことをやりながら同じ時間を過ごす…ただそれだけのことがおこなわれていただけなのですが、心があったかくなり、気持ちが和んでいきました。今までにない不思議な経験をした半日だったのは言うまでもありません。

様々な人と交わって、今日を楽しく遊ぶこと。

渡部さんが考える生きる力とはどういうものですか?

生きる力とは、人と交われる力だと思うんです。もっと簡単に言えば、“人と喜びを分かち合える力”ですね。例えば家族や友だち、仲間と一緒に食卓を囲んで「あぁ、おいしいね!うれしいね!」と感じられること、誰かと一緒に遊んで「楽しかった!」と思えること…。人は他者とたくさんの喜びを分かち合ったあとでなければ、他者の悲しみや苦しみや痛みを分かち合うことができません。人は生まれながらにして社会的な存在であることが運命づけられていると言われます。誰かの助けをあれこれ借りなければ生きていけない。そして、誰かに喜びを与えることで、自分もイキイキと生きていける。他者より何かが優れているなんていうのは、自信にはなりません。劣等感と表裏一体の優越感に過ぎないからです。信じられる他者がいるから、自分のことも信じられる。そんな本当の意味での自信が、生きる力になっていくのではないでしょうか。

“たごっこパーク”では実際に生きる力を育むような活動をおこなっているのでしょうか?

いいえ、うちの活動ではあえておこなっていないですね。「今日は△△をしましょう」「みんなで○○を作りましょう」といったプログラムやイベントもおこなっていません。ただ、子どもたちがフラッと来て、好きなだけ遊び、好きなときに帰られるような自由な居場所を作っているだけです。そんな活動を続けて10年になりますが、ここで遊ぶ子どもたちは、とにかく今をイキイキと生きているんだ、ということに気づかされます。それは子ども本来の素の姿だと思います。子どもが子どもらしく遊ぶことが、大げさでも何でもなく、明日を生きるための源になっているんです。楽しかったと思える日々の積み重ねが、子どもたちにとっての生きているということ。だから、私たちの合い言葉は「今日を楽しもうね!」なんですよ。ここは、様々な人と交わって、ひたすら楽しむところなんです。

“たごっこパーク”を10年続けてこられた成果は何でしょうか?

そもそも成果を求めている活動ではないですし、求めてもいけないと思っています。なぜなら、子どもの成長や発達は単なる結果でしかなくて、それを目的としてやっているわけではないからです。子どもたちに成果や結果を求めるのではなく、ときにハラハラと心配しながら、とにかく日々を共に生きる、そんな姿勢に徹してきました。それは言い換えると「君は君のままでいいんだよ」というふうに、自分を自分として受け入れてもらえたことと同じ意味ですから。そういうなかで、生きづらさを抱えているような子どもたちの持ち味も見えてきます。自由な遊び場は、子どもたちの素が出ますから。とかく子どもたちは親や教員、指導者から苦手や短所を指摘され、改善を求められます。私たちは、遊び場で長く関わる立場を生かして、一人ひとりの得意や長所を見出してきました。それは10年の成果だろうと感じています。一方で、参加する大人たちの意識の変化に出会うことはあります。例えば個性豊かな子どもたちと触れ合うことで、許容範囲が広がったり、多様な接し方をするようになったり…。 私たちも子どもたちからは多くを学びました。

今の日本における生きる力の現状はどのようなものだと思いますか?

このままでは危険だと思います。やはり社会全体もそうですし、教育の場においても、今の日本は結果・成果主義が主流じゃないですか?さきほどの質問の答えにも通じるんですが、結果が全てとなると、許容範囲の狭い社会になってしまうと思うんですよね。学校も企業も社会のためになる人を作ろうとしているけど、人のための社会を創りたいんですよね。君はこの枠組みに合わないからと排除するのではなく、どうしたらこの人とも共生できるかを考えたい。そうすれば多彩な受け皿が増えていくので、社会からこぼれ落ちていく人や、生きづらさを感じる人も減っていくんじゃないかと思うんです。

“たごっこパーク”のような冒険遊び場を作るために大切なことは何でしょうか?

場に携わる大人に対して求められることは「熱心で無理解な大人にならない」ということですね。よくありがちなのですが、遊びの場において大人が手出し口出しをすること…例えば作り方や使い方を大人が得意げになって教えることは、子どもにとって何のためにもならないということです。だって、教えてもらった通りにやって完成しても、大人の期待どおりの回答や結果を出しても、プラスの経験にはならないから。冒険遊び場づくりが自分の居場所づくりになってはダメ。遊び場はあくまでも子どもの場なんだと理解し、子どもの居場所づくりに徹することが大切なんだと思います。

NPO法人ゆめ・まち・ねっと

2004年設立。静岡県富士市を本拠地に、子どもたちや大人の自由な集まりの場「たごっこパーク」を土・日に開催。誰でも参加できるオープンな雰囲気、参加費や親の承諾が不要ということも相まって、自然と生きづらさを感じる子どもが多く参加するように。2011年3月には、子どもも大人も何気ない日常を過ごせるいつもと変わらぬ居場所として「おもしろ荘」を設立し、毎週火・水に開放。これらの活動費は全て募金と補助金でまかなわれている。代表を務める渡部達也さんは静岡県富士市在住。中学時代に、まちづくりへの興味を抱き、実現するべく静岡県庁へ。自分が望むまちづくりを目指し中途退職して「NPO法人ゆめ・まち・ねっと」を設立。妻の美樹さんはじめ地元スタッフの方々と共に、元気な地域づくりのための新しい公共の場を展開している。

NPO法人ゆめ・まち・ねっと公式サイト

» http://www.h6.dion.ne.jp/~playpark/



  • リスクを恐れず、できるだけ多く経験すること。

文部科学省が指導要領で「生きる力」という言葉を掲げているように、いま教育の現場でも、かつての「つめ込み」でも「ゆとり」でもない、「生きる力」に注目が集まっています。でも、それは具体的にどのような方法で、どうすれば身につけることができるのでしょう?それを知るヒントとなるのが、「社会福祉法人どろんこ会」(以下「どろんこ会」と略)の取り組みです。理事長の安永愛香さんは、初めて保育園をつくった1998年当時から「にんげん力を育てる」という理念を掲げ、どろんこ遊びや畑仕事など、ユニークな体験型保育を実践してきました。

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  • 自分で発見して、考えて、行動できる場へ!

どんな状況でも子どもたちがたくましく生きていけるように…。そんな願いからはじまった、親子で一緒に学べる避難生活体験プログラム「レッドベアサバイバルキャンプ」。自然のなかの不便な場所でサバイバル体験をするキャンプに、デザインや楽しい企画が盛り込まれているので、サバイバル生活初心者でも、楽しみながら「生き抜く」ための力や知恵、技を身につけることができると話題を集めています。そこで、「レッドベアサバイバルキャンプ」の活動や、主催するNPO法人プラス・アーツの理事長・永田宏和さんのお話から、「生きる力」とは何か、そして、それを身につけるためのヒントを探ってみました。

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