07
案ずるよりも。

めざまし時計をかけているわけではないのに
私たちは毎朝6時、ほぼ同じタイミングで、
隣り合ったテントからごそり抜け出すと
おはよう、のあいさつもそこそこに、
それぞれの、いつもの作業にとりかかる。
彼は寝ぼけ眼のまま炭に薪を乗せ、火を起こす。
私は昨夜発酵させておいたパン生地をこね、伸ばす。
その間に着替え、顔を洗い、歯を磨き、髪を整える。
火が起きたころを見計らって
彼はやかんに水を入れてお湯を沸かし、
豆を挽き、ドリッパーにフィルターをセットして、
ゆっくりコーヒーを淹れる。
私は先っぽを削った木の棒っきれにパン生地を巻き付け、
火に近づけ、くるくる回しながら焼く。

焼きたてパンと挽きたてのコーヒー
(と、バナナがあったりなかったり)。
いたってシンプルだけれど、
これが毎朝の、ふたりの愉しみになっている。

私たちがこのような「おそとのおうち」で
暮らすようになってから、3ヶ月。
両親やまわりの友人たちには
「ありえない」「どうかしてる」と
さんざん心配(というか変人扱い)されたけれど、
今までずっと、おそとでいろんなことを楽しんできた
私たちにとっては、むしろ自然なことだった。

朝はだいたい、そんなふうに過ごし
それから、それぞれの仕事場へと向かう。
帰宅後、あるいは休日になると
敷地内の一角で育てている野菜の世話に精を出し、
その後、それらをおかずにして食べる。

かといって、別にゴリゴリにストイックな
ナチュラリストを標榜しているわけではないので、
コンビニでふつうにおにぎりも買うこともあれば、
雨風がひどかったり、極端に暑い日なんかは、
いっしょに近くのカフェに行って、
日がな、だらっとまったり過ごすこともある。

私たちがこんな生活ができるのは
たぶん、物事を深く考えすぎてないからだと思う。
もともと(とくに彼は)その気があったけれど
今の生活になって余計に拍車がかかった。

世の中には、どんなこともどんどん難しいほうに、
悲しいほうに、考えてしまう人がいる。

でも、こうしておそと暮らしをしていると、
案ずるよりも、とにかく今そこにある問題を
どうにか解決しなきゃ、始まらないことが多い。
どうにかしないと、おなかがすくとか、
どうにかしないと、眠れないとか。

そんなプチ危機に、嬉々として取り組んでいるうちに
時間なんて、ホントあっという間に過ぎていく。
それが楽しい。

誰にどう言われようと
私たちは私たちのやりかたで暮らしていく。
バカボンのパパも言っていたではないか。

これでいいのだ、と。

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(PDF)

TEXT:
Mitsuharu Yamamura
ILLUSTRATION:
Ikuyo Tsukiyama
TEXT:
Mitsuharu Yamamura
PHOTO:
Shunsuke Ito