堤防ではない。メキシコ国立自治大学キャンパスのアートオブジェである。巨大なコンクリートの固まりがサークル状に配置された、人工のクレーター、あるいは現代版のストーンサークルともいえる、アースワークに近いスケールの空間。アーティストはマティアス・ゲーリッツ。サテライトタワーなどルイス・バラガンとの共同設計でも有名な彫刻家である。
ご覧のとおり、上部に平らなところは一切なく、直方体を傾けて埋め込んだような斜面の角度はかなり急で階段も手すりもない。見事に人に優しくない、というより、そもそも座ることを想定したデザインではない。私もおそるおそるよじ登り座ってみたのだが、相当怖かった。
でもカップル達は自然に座っている。このあまりにワイルドなベンチで静かに将来について語り合っているようにみえる。なんでわざわざこんなところでと驚くが、よく考えてみると、この場所は二人きり一人きりになれるという点で普通のベンチに勝っている。こうした小高い場所というのは、見晴らしがいいだけでなく、皆から姿を隠すことなく、日常や他者から少し離れた場を自分達だけで占有することができ、より親密な時間をもてるのである(私はこのことを、高野ランドスケーププランニングによる笠原小学校のハゲ山のデザインで学んだ)。若者達には相応しい場所といえるだろう。
周囲の風景もワイルドである。オブジェが取り囲んでいるのは溶岩むき出しの生態系保全地域である。通常のランドスケープデザインが扱う飼い馴らされた優しい自然とは違う、手でさわると切れそうな荒々しい自然。これもまた若者には相応しいようにも見える。この大学都市は、モダニズムと歴史地域主義を統合した20世紀を代表するキャンパスとして世界遺産にも登録されているのだが、その中にこうした質のランドスケープまで持っているとはうらやましい限りである。キャンパスに限らず住宅でも町でも、一つの環境の中に日常的な快適な空間に加えて、こうした非日常を感じる場があることは実はかなり重要な意味があるように思う。
日本の街やキャンパスにはアメニティスペースがないと叫ばれる。それは確かにそのとおりなのだが、必要なのはいわゆるアメニティだけではなさそうだと、この過激なベンチは教えてくれる。