パリの中心部,ルーブル美術館からほど近い、回廊に囲まれた長方形の庭園。このパレ・ロワイヤルがなかったら居方という言葉は生まれなかったかもしれない。初めて訪れた時、ベンチや一人掛けの椅子にゆったりと心地良さそうに座っている人々の風景が、これまで見た公園や広場とどこか違っていた。どこが違うかあれこれ考えているうちに、「人の居方が違う」と言い始めたのである。
パレ・ロワイヤルといえば、ダニエル・ビュランによるストライプの円柱が並んだ中庭も、魅力的な居方風景を創りだしているが、一見特別な仕掛けがない庭園のほうがより興味深い。なんというか、ただ座っているだけなのに人々に存在感があり浮かび上がって見える。それだけでなく彼らを非常に親密に感じるのである。
これはまず椅子の形式と配置によるところが大きいだろう。デザインされすぎた椅子や強引な配置のベンチは、しばしば人を「座らされている」ように見せてしまうが、自由に場所や向きを選んで座れる一人掛けの椅子は、座る人を尊重し、人が主体的に座っているように見える。また人の身体を隠さないベンチの背もたれが存在感を強調するのは、 scene:01で説明したとおりである(注)。しかし、こうした椅子やベンチの条件はパリの他の公園でも同じである。パレ・ロワイヤルはどこが特別なのか。
一番のポイントは樹木だと思う。列状に並んでいる樹々は、空間を覆い分節すると同時に、堂々と歩いてもよい複数の動線を保障する。その結果、我々は座っている人のかなり近くまで接近することが許される。座っている人たちに気づかれず、後から彼らを見守ることができるのである。
普通パブリックな空間での接触は第三者同士の関係にすぎない。ところがパレ・ロワイヤルの空間が許容するこの「近さ」は、声こそかけないが、座っている人を「あなた」と認識し、「あなた」の人生について想像を巡らせてしまう疑似二人称的な関係を生み出しているのである。