2003年より続くチュニジアとの付き合いは13年になり、チュニジア中の観光地からロバで水を汲みにいく僻地の村々、一面砂丘のサハラ奥地、一泊何十万の高級ヴィラ貸し(湾岸の大金持ちやフランスの政治家などが利用するという)まで、チュニジア人コメディアンや俳優、政治家等様々な人を対象に、現地視察やテレビ、雑誌、政府のプロジェクト等、多様なニーズのコーディネートをしています。

 

チュニジアは紀元前9世紀から侵略・破壊の歴史が繰り返され、前の都市文明の流用と勝者の文化との融合を続ける中で、地形や気候・風土にあった独特の建築があちこちで残っています。ここではほんの少しですがどれもチュニジアらしい典型的な建築や村をご紹介いたします。

 

まずは北~中部イスラム地中海建築。フランス属領から1956年に独立して以来、初代大統領の政策で沿岸部のいくつかの町に国の開発資金が入り、もともと比較的豊かなところがいっそう豊かになった感があります。ドーム天井のキューポラ、アーチがあらゆるところにちりばめられ、大きなパティオ(ローマ時代から踏襲されている中庭)、タイル張りと鉄職人による窓枠、レモンとオレンジの木の植えられた庭があるのが昔ながらの地中海邸宅です。もともと大家族な上、親類・近所の人を呼び合う習慣があるので、ゲストがゆったりとすごせる空間が広い家のあちこちにあります。

tunisia_ 1

ハマメット

 

シディ・ブ・サイドは観光客がまず訪れる、首都チュニス郊外の地中海村。スペインのイビザ島やギリシアのミコノス、サントリーニ島を彷彿とさせる青と白にブーゲンビリアの赤が映えます。日本人も大好きなスイスの画家、パウル・クレーはチュニジア旅行で画風がかわり色彩画家となったといわれていますが、彼も友人の絵描きと訪問し、いくつかデッサンを残しています。今でも芸術家&作家たちが集まり創作活動の展示が繰り広げられていて、散歩がてら立ち寄ることができるでしょう。

tunisia_ 2

 

tunisia_ 3

シディ・ブ・サイド

 

さて、南部に移ります。たとえば北アフリカ先住民族ベルベルの村。地中海沿岸は外敵が多かったので、もともといたベルベル人はある程度同化をはかりながらも11世紀ごろから内陸部に逃げ込み村を形成したりしています。

 

こちらのシェニニはもっとも古いベルベルの村のひとつ。殺伐とした岩山に横穴を掘り(穴居住宅)、周りを石で囲います。人々は一面土色の風景に溶け込むように隠れるように住みました。産業はオリーブオイルの生産を主とした農業とセミ遊牧(短期の遊牧)。

tunisia_ 4

シェニニ

 

女性たちの家事は大変な重労働で、石臼で麦をひき、パンをこね、焼きます。最近まで水も電気もひかれていなかったので(今でもない家はありますが)、ロバで水汲みにいき、遠くまで家畜のえさを探しに行きます。家事の合間にキリム(平織り絨毯)を織り日用品にします。

tunisia_ 5

クサール・ウレドスルタン

 

上記写真のように15世紀以降の比較的新しいベルベルの村は低地にクサール(穀物貯蔵庫)をつくり、各家がオリーブオイルや穀物を貯蔵、ときおり寝泊まりにもつかわれました。収穫の時期は各クサールでお祭りが開かれました。チュニジアとリビアの一部に美しいクサール群が見られ、観光客の訪問スポットとなっています。

 

また、ベルベルの隠れ家村のひとつで、一時期世界がもっとも注目したのはマトマタのクレーター式穴居住宅。映画『スターウォーズ エピソード1、2』でルーク・スカイウォーカーの故郷として映し出されました。1980年くらいの空撮写真ではアリの巣のような村でした。現在でも穴に住んでいる人々はもちろんいますが維持管理が面倒なため、地上に家を建てる家族も増加しています。

tunisia_ 6

マトマタ

 

また、チュニジアはナツメヤシの種のひとつの「デグラ種」のイスラム世界随一の輸出国で、そのおいしさは定評があります。南部最大の町、トズールは北アフリカ最大のナツメヤシの町でもあり、中世からの化粧レンガの町でも知られています。

 

この化粧レンガの建物が広がるトズールの旧市街はおとぎの国か映画の世界に入ったようです。ここは、13世紀初頭から灌漑用水のための水理学が発達し、かつイスラムも浸透したので、スーク(市場)の立つ曜日以外女性はほとんど外にでない習慣があり、私が地元の女性たちとの会話をしていて、あまりにも家の外の世界を知らなさすぎてぎょっとすることがあります(テレビではどんな国の番組も入ってきますが)。

tunisia_ 7

トズール

 

最後にドゥーズなど、遊牧民村の人々について。熱い夏以外、特に子供たちの春、冬休みの日は、幹線道路沿いによく遊牧民テントをみかけます。だいたい1グループにつき4、5テントですが、その内1、2テントにはヤギがいます。聞いてみると、2~3週間遊牧するとのこと。50~100km離れた近所の村から出て、テントをはって何もない荒れ地で過ごします。向こうは地平線、広い空、太陽、風。「遊牧が好きなんですね」というと、「この“外”の静けさがいいんだ」と誰もがこたえます。物質世界から遠く離れて、女性は朝から砂の上でパンを焼き、ヤギの乳をしぼり、来客にお茶を出す。晩御飯はときどき鶏をしめる。子供たちはかけっこが遊び。砂を掘って野菜をいれるのが、冷蔵庫代わり(ときどきどこにしまったか忘れるそうです)。

 

彼らの出身の村は私からみると充分静かなのに、さらに静けさを求めて、外の外で“短期遊牧”して楽しむ家族たち。家族の健全な結束も感じますし、空の広さの下でなんでも受け入れられそう。

tunisia_ 8

tunisia_9

日本でも“かっこいいアウトドア”人口は増えているそうですが、遊牧生活も体験しにきてもらいたいです。

 

日本の4分の3という小さな国土の中で、言葉は同じでも(チュニジア方言のアラビア語とフランス語)それぞれ別世界に住む人々がいて、日本の都市部と農村部との二極化とは次元が違うほど生き方、生きる環境が異なります。それはほとんどの途上国で同じことがいえるかもしれません。

ここにいると自分は極東の小さな島国から来た日本人であること、を常に思い知らされ、21世紀日本における教育の「複眼力」の大切さも感じます。