バングラデシュという国の名前を新聞紙上などでよく目にするようになってきた。1971年にパキスタンから独立したベンガル語を主言語とした国だ。私とバングラデシュとのつながりは、南部の海岸地帯で、サイクロン(巨大台風)シェルター兼診療所の設計に携わったことから始まる。

サイクロンシェルターの模型写真

敷地への模型のモンタージュ

現地で住民説明会を開催

バングラデシュで人が集まる場はチャイ屋だ。半屋外のチャイ屋には、いつも誰かがいるが、基本的にはイスラム教圏なので、男女のパブリックスペースは分かれ、男性のみが集まっている。ちなみに船着場の待合所などは、一応男女の部屋に分けられているが、厳密に分かれているという感じではなかった。
一方、ダッカなどの都会に行くと、規模は大きく人口が多いこともあり、知り合いには会わないだろうという安心感からか、男女二人が仲睦まじく話をしているシーンも見られる。

田舎のチャイ屋(男性のみ)

ダッカの船着場

船着場(右が男性用、左が女性用の待合)

ダッカの国会議事堂近くの公園

閑話休題。バングラデシュではチャイを作るのも、屋台で揚げ物を作るのも、自宅の台所も、料理をする場所は基本的に半屋外に置いてある土製のかまどである。この地域の土は粘土質なので、その辺にある土を上手くこねて作っている。

かまどで牛乳と一緒に煮るチャイ

半屋外の揚げ物の惣菜屋

道の両側には小さな屋台やお店が並んでいるが、至る所にベンチや座る場所があり、道全体に人が常に居る状態になっている。1年のうち6か月は雨季があるモンスーン気候の国なので、小さな屋台やお店の軒先には屋根が付いている。この道をバイクが通る時は、道を開けるようにクラクションを鳴らし続け、人の声もそれに劣らず大きいので、アジアの国らしい喧噪に包まれている。

至る所にあるベンチにみな腰掛ける

人もバイクも車も押し合いながら進む

スポーツの一番人気は、クリケットのようだ。ちょうど僕たちが行ったときには、4年に一度のクリケットのワールドカップが、インド・スリランカ・バングラデシュ共催で行われており、大きな盛り上がりを見せていた。また、屋外では、子どもも大人も関係なく、バドミントンや、木の板で作ったビリヤードのようなゲームで遊んでいる人たちを良く見かけた。

クリケットは人気スポーツ

バドミントンに熱中する人々

家もゲームもハンドメイド

子供も遊びを創りだす

水辺空間の使われ方にも、日本とは違った風景が見られる。道路や橋がまだ整備されていない南部では、ダッカと南部地域を結ぶ河は、交通・物流の大動脈であり、バングラデシュの人たちにとっては生命線と言える。ダッカの乗船所の周りには、大型船が並び、建材や野菜などの取引や引き渡しが行われ、非常に活気がある。船が立ち寄るそれぞれの村にとっても、この乗船所からの物資が重要である。一方、真水の確保が難しく、井戸水が飲み水となっているため、川やため池などの水辺空間は、洗濯や身体を洗う場所ともなる。

バングラデシュの大動脈である船舶

木造造船技術は、広範囲に継承されている

船の上が祈りの場ともなる

河が物流の重要経路なので、皆船を待っている

井戸は生命線で、皆が集まる場所

水辺空間は洗濯、お風呂などの場所

サイクロンが頻発するこの地域では、高潮により度々大きな被害にあっている。2007年の巨大サイクロン「シドル」が襲来した際には、約4千人が亡くなる事態となった。その後日本を含む各国がサイクロンシェルターを建設したが、人口増加が続くバングラデシュでは、まだ3,000棟も必要とされている。通常は学校として使われている事が多く、ピロティの下は子供の遊び場になっている。箱モノであるが、有事の際は命を救う箱である。もっと多くの人が収容でき、安価に建設可能なサイクロンシェルターの作り方が待ち望まれる。

シドル後に建設された小学校兼シェルター

改装されたシェルター

バングラデシュのおそとは、宗教的な目に見えない規律を持ちながら、人間として生きるために現実的な使われ方が優先されているように感じられる。また、南部ではガスや電気、電話線など、遠い昔から頻発するサイクロン被害によって従来のインフラが整備されていない。しかしその一方で、ソーラーパネルや携帯電話など、新しい技術によって生み出されたパーソナルな規模のインフラが普及し、生活の一部が一足飛びに近代化しているのだ。このような、地球を傷つけず、必要最低限のインフラで生活が成り立つ風景を見ていると、先進国のいうエコとは違う自然との関わりについて、何か示唆されているような気がする。さらに急激な人口増加と近代化が同時に進むバングラデシュで、自然災害と付き合いながら、今後どのようにおそとの使われ方が変わっていくのか注目である。