ある日、ミラノ市内のCENTRALE(チェントラーレ)駅近くの場所に仲間と飲みに行った時、おそとの使いこなし方に驚かされた。そのエリアはオフィス街で、バール(日本でいうとお酒のあるカフェ)などが立ち並ぶエリア。歩道と車道の高さが一緒でフラットとなっており、夜はまるで歩行者天国なみに道にはみ出してみんなで立ち飲み。最初、そのお店でパーティーがあるのかと思っていたが、どうやらそれはいつもの光景みたいだ。

イタリアではテラスのあるお店がとにかく多い。寒い冬でもテラスでワインを飲んで、仲間と語りながら長時間過ごしている。バールが至るところにあり、生活に欠かせないお店となっている。単なるカフェではなく、自分のペースで、そのときの気分で自由に立ち寄り利用することができる。料理とお酒はもちろん、人々がコミュニケーションを楽しむ空間。その賑わいの雰囲気が店内だけでなく、店外まで溢れだしているのだ。

文化とおそとの“使いこなし”

平日のお昼にスフォルツェスコ城の背後にある広大なセンピオーネ公園へ行ってみると、温かな日差しのもと、たくさんの人たちが好きなスタイルで過ごしていた。

その日は休日ではなかったが、若いカップルから年配のカップル、親子、仲間同士など、たくさんの人たちが思い思いのスタイルで過ごしていた。ベンチや芝生で彼女の膝枕で寛ぐカップル、サッカーを楽しむ人たち、散歩をしている人たちと。おそとの空間で、“何しようか”と戸惑うことなく、自然に過ごしているのがとても伝わってきて、みんながおそとの使いこなし方を熟知していることを感じる。

文化とおそとの“使いこなし”

“なぜビジネスマンが昼間に街中にいるのだろう?”と不思議だった。実際に現地の人に話しを聞くまでは、“Siesta(シエスタ)”は一部の人間だけが行っているのだと思っていたが、それは間違いだった。本当にお昼に2時間、休憩を取るのだ。過ごし方は人それぞれ。仕事仲間とバールでランチを取る人もいれば、テイクアウトにして公園などでランチを取る人もいる。また、家族がいれば、家に帰ってみんなでランチを取るという。“家族みんな”という言葉に引っかかり、聞いてみると、子どもたちはお昼休みに一度家に帰ってランチを取るという。

また、“お昼に2時間も取っていたら仕事ができないのでは?”と思い、聞いてみると、朝が早いのだそう。で、もちろん昼だろうとワインは欠かせない飲み物。料金を見てもお水より安い。

文化とおそとの“使いこなし”

私が知っているイタリア人は陽気で気まま、自分のスタイルを崩さない。役所はもちろん、ホテルや飲食店でもどれだけ人が待っていても、焦ることなく、他のスタッフも手伝うことはしない。人だけではなく、街全体がのんびりゆったりとした雰囲気に包まれている。ところが違った面も持っていて、道に迷ってMAPを見ていると、若い子だろうとみんなが声を掛けて教えてくれる。人種関係なくとても親切で優しく接してくれるのだ。街はずれの田舎でならそれも納得できるが、イタリアの中心地であるミラノのど真ん中。でもそのイタリア人独特の気質が、街の雰囲気をつくりあげている。

伝統ある建造物を大切にしつつ、デザインを発信しつづける街であるミラノ。ショーウインドウや道端に並んで売られているバラ、カテナリー照明など、古いものを活かしつつ新しいものを取り入れる街の雰囲気や演出は“さすが!”の一言。

お花を買ってまた驚かされた。花束ではなく、紙袋にリボンをかけて渡される。その紙袋内は花束とバラの花びらが埋め尽くしていた。その粋な演出も素敵だが、受け取った時の相手の驚きや喜びの気持ちまで考えている。

こういった演出やサービスの発想は、元々持っているセンスや気質はもちろん、ゆったりとしたときの流れの中で暮らしているがゆえの、気持ちのゆとりが生み出すものだろうと思ってしまう。

空間の“使いこなし”は、快適に過ごすための空間演出も必要なときもあるが、使い手がその空間でどう過ごすかによって大きく変わる。この国の人たちは、気質とゆとりが生み出すものなのか、“使いこなす”ための装置を誰かに与えられることなく、その空間で楽しみ、寛ぎ、使いこなしている。

文化とおそとの“使いこなし”