100年前のアメリカ、ニューヨーク。マンハッタンの南端に集まって住む人たちに物資を運ぶため、南北を貫く線路が敷かれた。ところが徐々に自動車交通が増してきて、貨物列車と自動車との交通事故が増えることになる。そこで80年前に線路が高架化され「ハイライン」が誕生した。ところが今度は物流の主役が列車からトラックに変わり、30年前にハイラインはその役割を終えた。
放置されていたハイラインが細長い公園となって市民に開放されたのは2009年。何度も取り壊されそうになったハイラインを保存し、公園として整備することを提案したのは「Friends of the High Line(FHL)」というNPO法人である。廃線となったハイラインの上に生える雑草の種子を集めるイベントを開催したり、写生大会や写真大会を開催したりして、ハイラインがニューヨークのなかでも特殊な存在だということを多くの人に知らせてきた。こうした働きかけが功を奏し、ニューヨーク市はハイラインを公園として整備することを決めたのである。
ハイラインの南端。高架線路が途中で切れたようなカタチになっている。(写真:FHL)
ハイラインを真上から見る。
主なアクティビティは散歩。(写真:FHL)
ハイラインの整備のなかでも特徴的なのは、線路が放置されていたころの植物を選んで植えたことである。30年間放置された間に、廃線跡地にはさまざまな植物が生えていた。それらと同じような植物を新しくオープンする公園に植えるとともに、ところどころに線路を残して整備した。その線路を利用してスライドできる寝椅子が設置されている場所もあり、過去の記憶をうまく引き継いだ公園のデザインだといえよう。
古いレールの上に置かれたベンチは、
ところどころスライドできるものがある。
地上10mから長めるマンハッタンの夜景は、地上から見るものとも超高層ビルから見るものとも違う。
地上10mに浮かぶ細長い空間を歩くと、地上から見るマンハッタンとはまったく違った風景に出合うことになる。隣接する河川の水面が見えたり、超高層ビルのスカイラインが見えたり、近隣のマンションの屋上庭園が見えたり。マンハッタンの西側を南北に走るハイラインは、夕日を眺める場所としても抜群だ。夕方になると多くの人がハイラインに集まり、ベンチに座って会話しながら夕日を眺めている。
散歩やランニングのために利用する人が多いが、食事をしたり、各種イベントに参加したりする人もいる。前述のFHLは、ハイラインがオープンした後にハイラインの管理団体となり、整備前と同じかそれ以上に多様なイベントを主催している。ガイドツアー、音楽イベント、ヨガ教室、植物観察会など、市内のNPOと協力しながら年間を通じて様々なイベントを開催している。50名以上のガイドボランティアが登録しており、週末になるとハイライン各所で案内してくれるのも特徴的だ。
人々が気軽に使いこなすことのできる屋外空間は、それをマネジメントする主体がいることによってさらに良好な状態を保つことができる。ハイラインの場合、その空間を生み出すために努力していたFHLという団体が、オープン後もそのままマネジメント団体になったという幸せな関係性が存在する。その場所をどうつくるかということも大切だが、その場所をどうマネジメントするか、そして誰がマネジメントするかもまた、とても大切なことなのである。
ガイドボランティア。
現在50名以上が登録している。
周囲は駐車場や工場などが多い。
ただし最近は人気のエリアになったため、
レストランなどが増えている。