混在しているホーチミンのまち - ベトナム/ホーチミン

雨季と乾季があるベトナムのホーチミン。5月初めは日本では暖かくなり出して、もうすぐ梅雨に入るイメージだが、ホーチミンは年中暖かく、中でも5月は年間で一番暑い時期であり、雨季に入る直前。街中の緑は色も密度も濃く、花々もカラフル。3時間ほど街中を歩き回ったが、暑さと湿気にやられてかなりバテバテになった。

街中に小さな広場はもちろん、大きな広場も多く点在しており、広場には木々や花々があふれていた。緑がいっぱいな広場は、“蒸し暑さから逃れたい”“休憩したい”人たちの都会のオアシスとなっており、広場内にあるベンチや芝生、花壇の縁に多くの人が座って過ごしている。また、街中でもちょっとした段差を見つけては、現地の人たちが座っている風景をよく目にした。そして、噴水のある場所では、足を水につけて友達や彼、彼女とおしゃべりしている人も多くみられ、夜になると、涼しさを求めてか、隙間が無いほど噴水回りは人で埋め尽くされていた。

混在しているホーチミンのまち - ベトナム/ホーチミン

ホーチミンは近代化されている部分とされていない部分、外国文化など色々なものが混ざっていて、独特な雰囲気を醸し出しており、様々なことで衝撃を受けた。

その一つが、歩道の脇で食べ物やお土産などを売る人や小さな椅子とテーブルで食事をする人たち。外が食事をする場所と決まっているかのように、みんな、おそとで食事をしている。日本でいう屋台だろうが、ここでは、歩道の脇がお店という感じでテーブルと椅子が綺麗に並べてあり、みんなが食事をしている。公共空間でもちょっとしたスペースがあればそこはお店となり、“Café”の看板をつければそこは“Café”となる。昼間は食事を楽しむレストラン、夜は仲間とお酒が楽しめるバーとなる歩道脇のお店は、電気やガス、水道が無くてもお店となり、集いの場となる。与えられたものではなく、みんながそれぞれ作り出してその空間が生まれている。

混在しているホーチミンのまち - ベトナム/ホーチミン

フランスの置き土産であるシエスタの習慣や聖堂、フランスパンやベトナムコーヒー。テラスのあるCaféも多く、観光客がゆったりとCaféで寛いだりしているが、少し離れた場所の一角では、歩道脇に即席で作られたテーブルと椅子だけの露天で食事をする人がいる…。
また、高級ホテルの周辺などの中心部は舗装も整備されており綺麗だが、中心部から30分ほど歩いて行くと舗装が割れていても補修していないところが多く、壊れた舗装があちらこちらに散らかっており、中心地とは違う雰囲気となっている。そして、その辺りからちょっと細い通りに入ってみるとまた別世界が広がっていた。

商店街みたいに飲食店が立ち並び、蒸し暑く様々な臭いが混ざっている中、現地の人たちは椅子に座って食事をしたりして寛いでいる。道を走る車やバイクはいるが、歩いている人はほとんどなく、観光客である私たちはその空間から浮いた存在であり、商店の人たちに嘗め回すように見られてちょっと恐怖も感じ、早歩き…。

混在しているホーチミンのまち - ベトナム/ホーチミン

歩道の片隅で籠やテーブルを出して食べ物や雑貨を売る人、店舗の入り口に商品を出して呼び込みをする販売員、市場から溢れ出している果物やお土産物&呼び込みなど、街中に沢山の滲み出しがあり、街中に人が賑わう空間が多く生まれている。

おそとの使い方は様々で、ここホーチミンでは、即席Caféや露天のお店などの商売の色が強いが、店先でテーブルと椅子を出してカードゲームをしていたり、水辺のある広場では水に足をつけて友達と会話をしていたりと、日本よりも使いこなしがされていた。ベトナムの人たちは暑さも関係なくおそとに椅子を持ち出して過ごしていて、交流の輪がいくつも広まっていた。日本では都心ではまず、井戸端会議みたいな光景は見なくなっている。隣近所との交流が減ってきているのもこういった光景がなくなったせいかもしれない。

混在しているホーチミンのまち - ベトナム/ホーチミン

文化や社会、新しいものや古いものなど様々なものが混在しているベトナム。近代的なものと古いものが隣り合わせに並んでいて、不思議なそこにしかない雰囲気が生まれている。その中で過ごしている人たちはその雰囲気を楽しみつつ、おそとを生活の一部としている。

日々成長しているまちを楽しみながら、自分の空間を自ら作り出し、その空間を自分のものにしてしまっているベトナムの人たちには、自ら空間を作り出す能力がそなわっているのだと感じた。