文月 「空」

 日本には季節をつかさどる女神が存在すると考えられています。春は佐保姫(さほひめ)、夏は筒姫(つつひめ)、秋は竜田姫(たつたひめ)、冬は宇津田姫(うつたひめ)。私は、彼女たちが空から季節を伝えているような気がしています。雲の絨毯をつたいながら、季節の息吹を地へ注ぐ。その姿が見えるわけではありませんが、存在を感じるときがあります。

 古代中国に生まれた自然哲学の思想「五行説」によると、春は東、夏は南、秋は西、冬は北からやってきます。そのため、当時の都を囲むそれぞれの方角に位置する特別な山に宿る女神を「季節の女神」と呼ぶようになったそう。詳細については、和歌に詠まれた女神もありますが、謎めいています。
 五行説は、世の中のあらゆる物は、「木(もく)」「火(か)」「土(ど)」「金(ごん)」「水(すい)」という性質のどれかにあてはまるという思想です。方角や季節にあてると、「木」は東、春。「火」は南、夏。「金」は西、秋。「水」は北、冬。「土」は、季節の変わり目にあてられています。あらゆるものは土に還ることから、すべての季節を結ぶもの。現代では夏だけが盛り上がりをみせる、一年に四度訪れる土用の期間のことです。

 ちなみに「火」は、灼熱の性質をあらわすため、夏とのこと。 では、筒姫とはどのような女神なのでしょうか。私は五行説から想像してみることにしました。
 例えば、「火」を色にあてると紅なので、衣服は太陽をイメージさせる煌く赤色。夏に咲く紅花(べにばな)の花で染められた薄衣を羽織っています。唇や頬には、同じく紅花から作られた紅をさし、その笑顔は向日葵(ひまわり)のようです。年齢は、青春時代の次を朱夏の時代ということからすると、大人の色香を纏い始めるころでしょうか。
 このような筒姫を特に感じるのは、盛夏のころです。山の稜線や海の地平線、ビルの谷間から立ちあがる入道雲は、暑さのなかで頑張る私たちへの彼女からのエールであり、血潮のごとく真っ赤に焼ける夕景や、夜更けの涼しげな月は、一日を終えようとする私たちへの労りではないかという想いにも至ります。

 また、筒姫の「筒」は水を表すことから、水を具現化したという説もあり、水のような透明で美しい心を持っているとも想像できます。五行説でいうところの太陽のような温かさも併せ持つなら、憧れの対象となる人柄といえるでしょう。
 というように時間が許される限り、自由に想像を膨らませてしまいます。

 とはいえ、現実に戻っても、7月は、水と太陽の季節ではないかと思います。降り続く雨と、のちの照りつける陽射し。水も太陽も空から注がれ、私たちが生きるために確かに必要なものであり、この恩恵を強く意識しなければいけない季節のような気がします。

 梅雨のころは曇天や雨雲が目に入り、上を向いているのに、気持ちは下向きになりがちです。曇天は憂鬱な気持ち、雨は悲しい気持ちというように、空の表情を人間の感情に喩えることがよくあります。けれども、否定的に捉えず、これらも筒姫による助言のようなものと考えてみるのはどうでしょうか。憂鬱な気持ちなら、どっぷりと浸りましょうよ。涙を流したければ、流しましょうよ。感じたままに、ごまかさずに、気持ちや感情を表しましょうよ。笑顔に喩えられる晴天だけではなく、梅雨があって、のちに晴天が訪れるから、農作物は健やかに成長することができます。私たちも、それと同じ。笑顔だけが人としての成長にはつながらない。そのように教えてくれているというのは考えすぎでしょうか。

 空は、日本のどこに居ても、誰でも、いつでも、季節をはじめ、多くを伝える大きな存在です。ときには空想に浸りながら、ときには頭を空っぽにして仰ぐことで、見えてくるものが果てしなくあるような気がします。

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