皐月 「山」

 「なぜ、エベレストを目指すのか」と問われ、「そこに山があるから」と答えた登山家の話はあまりにも有名ですが、標高500mほどの山々に囲まれて暮らす私は、そこに山があるから、日々、目を向けています。毎日毎日、麓から頂までを眺めていると、わずかな移り変わりを知ることができ、ひとつの喜びは小さいものの、積み重ねていくとエベレストに登頂したときと同じほどの高揚感を一年間で得ることになるのでは、と推測しています。
 山の魅力は、暦の上での春が立つころに目覚めてから、様々な表情を見せてくれることです。そのなかでも私が最も好む時季は、平地に桜が咲くころからのおおよそ二ケ月間。遠目では裸木がまだ多く残りますが、木々に新芽が出はじめ、萌黄色が少しずつ目に飛び込んでくると、気持ちも山へ向ける時間が増えていきます。

 さらに、いくつもの種類の緑色が、日に日に加わっていき、その間に、赤紫色や山吹色といった大胆な色の花をはじめ、淡黄色の花、そして山桜、山藤などが順に咲くと、山は輝きを放ちます。そうして、絵に描かれがちな膨らみのある木々に溢れた山へと移り変わります。そのかたちを例えるなら、むくむくと盛り上がる彩り豊かなブロッコリー。また、常緑樹の多い山は、不揃いな端切れで作った前衛的な柄のパッチワークのようになり、どの山も愛嬌のある表情を見せてくれます。このころの山を「山笑う」と言い表しますが、笑いが伝染して私も微笑んでしまうので、「人笑う」季節とも考えられ、私の喜びは頂点へと達します。

 実は、毎日毎日眺めるようになったのは、ここ数年ほどのこと。そこに山があるにも関わらず、前出のような移り変わりを知らない時代もありました。時間に余裕がなく、心にも余裕がなかったからか、時折眺める程度なので大まかにしか季節を捉えていませんでした。学生時代には、山道を縫うバスで通っていましたが、車窓からの景色に心が動いた記憶はなく、しみじみとした喜びを求めてはいなかったのだろうと振り返ります。
 とはいえ、この素晴らしさに、どうして気付かなかったのだろうと疑問を抱くことは多々ありますが、これまでを悔やむと切りがないので、気付くことができた自分を称えたいと思うようになりました。また、知らない時代があったからこそ、大人になってから多くの新鮮味を感じられているので、知らなくて良かったのではないかとも思います。
 同じ山を眺めていても、その年その年に興味を抱くものが異なるからか、新しい発見が尽きないことにも喜びを感じます。これからも発見があるということは、同じ数だけの感動があるということ。そう考えると、未来は明るいような気がします。また、きっと発見は多いだろうと予想するので、感動を続ける未知なる自分を楽しみにせずにはいられません。それゆえ、そこに山があるなら、私は、いつでも、いつまでも、目を向けることでしょう。

これまでの歳時記