睦月 「風」

 新しい年を迎え、お正月ならではの、めでたい淑気のなかを吹く元日の風「初風(はつかぜ)」は私の好きな風のひとつです。背筋を伸ばしてくれるほど穢れのない清らかさは、この日にしか感じられないもの。もしかしたら初風は、お正月を寿ぐ人へ気を配り、空気を清浄することに専念してくれているのかもしれないと思うほどです。その数日あとには、人もまちも動きはじめ、非日常の風に少しずつ日常が加わっていきます。

 風は、一言で説明するならば、空気の流れ。けれども、流れの種類はあまたあり、繊細な心を持つ日本人がその豊かさを放っておくわけがなく、先人は、あらゆる風に名を付けました。その数は2,100余りあると言われています。肌に触れる感覚から付けられたり、吹き渡る時期や場所から付けられたり。また、その地方ならではの呼び名など多くの視点から名付けられています。そのうちの382語を紹介する書籍『風の名前』(小学館)では、美しい名を持つ風の存在も知ることができます。例えば、雨の降りだしを伝える微風を「少女風(しょうじょふう)」、星が美しく輝く陰暦十月中旬に吹く北東の風を「星の出入り(ほしのでいり)」、立春後の雲雀が鳴くころの東風を「雲雀東風(ひばりごち)」。読み進めていると、言葉から想像が膨らみ、それぞれの風に吹かれながら、その名を囁いてみたいという思いに駆られます。
『風の名前』にも紹介されていますが、私が最も興味を抱いている風は、中国から伝わったとされる「二十四番花信風(にじゅうしばんかしんふう)」。1月5日ごろの「小寒(しょうかん)」から4月20日ごろの「穀雨(こくう)」までの八節気をさらに三つに分けた二十四候ごとに、それぞれの時期に合わせて花を咲かせる風とされています。小寒のころは、梅、椿、水仙。1月20日ごろの大寒は、沈丁花(ジンチョウゲ)、蘭、黒灰(クロバイ)。2月4日ごろの立春は、黄梅(オウバイ)、英桃(ユスラウメ)、辛夷(コブシ)…と続きます。花信風は花を咲かせる風とはいえ、風が吹くころに花が咲くかといえば、そうではありません。私が住む地域では、小寒のころの梅は蕾の状態。ほんの少々緩んできているものの、まだまだしっかりしています。ですから、花信風とは、美しく咲くと信じて、さらなる精気を与える風ではないかと私は思っています。

 実は他にも、梅東風(うめごち)、桜東風(さくらごち)といった花を咲かせる風の名は春に多く存在します。また、想像するに、花の絶えない日本では、そのような風が常に吹いていると言えないでしょうか。例えば、1月の終わりに見ごろを迎える梅に似た黄色の花、蠟梅(ロウバイ)。この花を咲かせようとする風は、蕾ができはじめる晩秋から吹いていることでしょう。ちなみに、蠟梅の花は、天からの光を受けているかのように輝き、清楚で麗しい芳香を放ちます。そのため、この時季に吹く風からは、どことなく気品を感じます。いえ、感じようとして感じているところもあり、人間とは不思議なものです。

 とはいえ、風は目に見えないことから、いかようにも感じ取ることができます。そう考えるとき、サン・テグジュペリによる『星の王子さま』の有名な一節“大事なものは、目に見えない”を思い出すことがあります。風が運んで来るものは良いものばかりではないので、私たちは思慮深くなることもありますが、良いもの、そうでないものを超えたところにある大事なものを運んでいるかもしれないと考えてみます。そのような楽観的な心で風を感じようとすると、穢れのない清らかな風に毎日吹かれることができるかもしれないと思うのです。

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