銀杏の葉が黄落して、麓の楓の色づきが盛りを迎えるころ、山は装いを終えます。その後は、裸となった樹木と息を潜めた常緑樹が山を深い眠りへ。野では、草紅葉と枯れ草が混じり合い、そこへ霜、あるいは雪。氷点下の朝が続けば、植物はますます褪せていきます。これが私の家から眺める12月の景色です。
この景色に多く見られるものは「枯れ」。「もの寂しい」と表すことができ、眺める私たちは他の季節よりも悲観的になりやすくなります。でも、あるとき目にした『日本の伝統色 配色とかさねの事典』(ナツメ社)によって、「枯れ」への印象が変わりました。それは、重ね色目の頁を見たときのことです。重ね色目とは、「平安時代の衣服に見られる表地と裏地の配色」とあり、季節ごとの草花が配色や名称に使われているのが特徴です。「外出することが多くなかった女性貴族たちは部屋から見える庭園に移ろいゆく季節を感じ、その色を衣服に表現して日々を楽しんだ」とのこと。そのなかの冬の頁で見た「枯色」と「枯野」と名付けられた重ね色目に、私は衝撃を受けました。というのも、私がいつも歩いている畦道や土手で見ることができる色合いだったからです。「枯色」の表地はベージュに近い茶色をした「淡香(うすこう)」で、裏地は緑がかった青色。「枯野」の表地は温かな黄で、裏地は緑がかった青を薄くした「淡青(うすあお)」。冬の野は、全体的に枯れているとはいえ、ところどころに黄や青が確かに見られ、枯れにも色があり名があり、冬ならではの美しさで彩られていたのです。
四季があり、冬があり、枯れがある。その“枯れ”を嫌って否定するのではなく、認め、味わい、そのなかに色という美を見出すことができたとき、少し大げさかもしれませんが、私のなかにある種の自信が生まれたように感じました。どのような状況においても、明るさを見出せる人が持つ強さと似ているかもしれません。
冬の重ね色目のなかには、春の訪れを待ちわびる思いを込めた「雪の下(ゆきのした)」という、雪に埋もれた紅梅の花を模した色目もあります。雪深くとも色を見つけ、あるいは色を感じるよう努めた平安時代の人たちは、この紅梅と同じく、何事にも動じない強さを持っていたのでしょうか。多くの重ね色目を生みだした先人の心を敬服せずにはいられません。
ところで、12月の誕生色が藍白(あいじろ)であることをご存じでしょうか。藍白は、白に近い藍色で、藍染をする過程でみられる最も薄い色のことです。ちなみに、藍は、藍白(あいじろ)、瓶覗(かめのぞき)、水浅葱(みずあさぎ)、浅葱(あさぎ)、納戸(なんど)、縹(はなだ)、紺(こん)の順で染まっていくとのこと。
藍白は最近では、東京スカイツリーの色がこの色をベースとしていることから親しみを抱くようにはなりましたが、12月との関係がなかなかわからずにいました。でも、冬に咲くスミレに雪が積もる色と聞いたときは合点がいきました。まさに、12月の散歩道で返り咲いているスミレを見かけるからです。草むらのなかに恥ずかしげに俯いてぽつんと佇むスミレを見つけたときといったら…。そこへ雪が積もるとなると、12月に対して抱く、どこかせつなく、どこか心躍る、不思議な気持ちと似ているように思います。
冬は、景色だけを大きく眺めると、重ね色目にもある「枯色」や「枯野」のような色合いになりますが、スミレのように小さな明るい色もたくさん見つけることができます。雪の下や、土の下にも、たくさんあるはずです。また、人間は1,000万種の色を見分けることができると聞いたことがあり、それが本当なら、「枯れ」のなかにも、まだまだ多くの色を見つけ出すことができるかもしれません。それはもしかしたら、平安時代の人たちも見つけることができなかった色かもしれません。そのようなことを想うと、冬に息づく色とのこれからの遭遇に胸が高鳴ります。