霜月 「光」

 寒い季節になればなるほど貴重となり、有りがたみが増すものといえば、陽の光。光への恋しさは晩秋から高まります。その想いを募らせるなか、光をたっぷりと感じられる暖かい日を迎えた嬉しさを表す言葉は、<○○日和>ではないでしょうか。可愛らしい語感によって心が浮き立つ言葉ゆえ、多用したくなります。その代表となるのが、小春日和。「小春」というのは旧暦10月の異称で、今年の小春は11月14日から12月12日までとなっています。
 他には、俳句でよく用いられる「柿日和」も晩秋ならでは。牧歌的で「柿」自体が太陽の色を想起させるため、暖かさが増すように感じます。このように、これからの季節は、陽の光が注がれる身近なものを添えて造語にすることで日々を楽しむのも一案。南天日和、葉牡丹日和、白菜日和、落葉日和、焚火日和…。口に出してみると、温和な空気を感じられることでしょう。

 小春日和の時期が過ぎると厳しい冬へと移り、「冬日和」という言葉が使われるようになります。そのころの日向ぼっこが至福のひとときであるのは誰もが承知のとおり。とはいえ、冬至を過ぎると少しずつ日照時間が伸びます。いつも同じ位置で同じ時間に日向ぼっこをしていると、日脚の伸びを明らかに感じます。「一日に畳一目ずつの日脚が伸びる」と例えられるように、少しずつの伸びを感じることは、冬だからこその悦びです。そうして2月に入るとすぐに立春を迎えます。不思議なもので、太陽が暦通りに冬よりも強い光をふり注ぎはじめるので、私たちは春を感じることができます。それが一番確かとなる朝は、まるで芽が土から顔を出すときのように悦びが身体のなかから湧き上がってきます。ですから、このころを「光の春」と呼ぶと知ったときは、言葉の美しい響きからも感嘆しました。詳細や真偽の程はわかりませんが、とあるロシア人作家の綴った言葉を訳した造語で、とある日本の気象学者が広めた言葉だそうです。

 ちなみにロシアの光の春は、雪解けのころ。想像するに、ロシアは日本よりも春を待ち望んでいる国ではないでしょうか。そう考えさせられるのが、冬を送り春を迎える祭「マースレニツァ」。かなり古くから伝わるお祭りで、一週間程かけて開かれるそうです。この期間は太陽が再生されることを祝うとあって、丸いかたちが太陽を象徴するといわれている「ブルヌイ」というパンケーキをたくさん食べるとのこと。「たくさん」に春への希望を感じ、笑みを浮かべながら頬張る人たちの姿を想像します。

 ところで、ここに私がロシアのことを持ち出したのには理由があります。それは、この『月を仰げば、満たされること。』を綴ることができるようになった発端がロシアにあるからです。私は学生のころ、友人が企画した学生同士の文化交流のためにロシアへ渡り、シベリアの中心都市であるノヴォシビルスクの学生と合宿をしたりホームステイをさせてもらったりしました。さらに、ロシアの学生を日本へ呼び、両国で約1ケ月間に及ぶ交流をしました。その体験を通して、ロシアの学生が自国を愛し、文化を誇らしげに語ることに驚きました。一方の私は、自国の文化を知らな過ぎ、誇りを持っていないということを痛感しました。日本について何も詳しく伝えることができなかった、という情けない思い出があります。

このことがきっかけとなり、自国の文化に触れるように努め、四季が日本の文化の発展に多大な影響を与えていることを知りました。そして季節を言葉で学べる俳句をはじめ、自ずと季節のうつろいに敏感となり、続けていくうちに、今なお季節のうつろいを感じ取れる日本人の繊細な心を誇ろうと決め、今に至ります。

 日本の美称は「日いづる国」。太陽が昇る国であることを表しており、聖徳太子が中国へ送った手紙に記したとされる言葉です。私はこの「日いづる国」という言葉に厳かな印象を持っています。とはいえ、私の日々は、朝の光を感じたり、ときどき浴びたり、夕陽を眺めたり、と陽の光へ気持ちを向けるのみ。そうしていると、太陽があるから日本ならではの四季があり、四季があるから日本ならではの文化があると改めて思います。つまり、太陽が文化を育んできたと考えられ、太陽への有りがたみは増すばかり。
 その有りがたみは、お祭りのような高揚をもたらすものではありません。胸のなかでしずかにしずかに膨らみ、満ち足りた気持ちにさせる小春日和のような温かなものです。

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