松林のある風景を、未来へつなぐ 浜寺公園

  • 2014年1月27日

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浜寺公園の松林は、明治より以前から植えられてきたという歴史があります。また、松は冬でも青々とした葉をつけることから、不老長寿を象徴する縁起の良い木として親しまれてきました。とはいえ、身近な木としては馴染みが少ないと思うことも…。そんな松林の歴史や魅力を改めて知るために、大泉緑地に引き続き、元大阪府立大学教授の前中久行先生にお話をお伺いしました。
(文:木下知花栄)

 

浜寺公園は日本で最初にできた公園のうちのひとつで、とても歴史があるんです。明治6年に、太政官(だじょうかん※)によって、「群衆遊観の地をもって公園となす」と、全国的なお達しが出ました。つまり、「人々が遊んで楽しんでいる場所を公園という制度にのせて、これから維持していくぞ」ということ。それにより、最初に認められた公園が全国に6つあって、浜寺公園はそのひとつなんです。

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(左)米軍キャンプがあった時代の消火栓跡。レトロな形が歴史を感じさせます。
(右)園内にある与謝野晶子の歌碑。「ふるさとの和泉の山をきわやかに浮けし海より朝風ぞ吹く」と故郷の自然を詠んだ詩が記されています。

 

浜寺公園がある場所には、昔から松林が植えられていました。万葉集に白砂青松と詠われているほどです。ですが歴史的には受難の時期もありました。公園として認可される直前には開墾され、松林が荒れはじめていたんです。そこへ偶然訪れた大久保利通が、せっかくの松林の景観が損なわれることを嘆いて、当時の堺県令に働きかけ、即刻伐採中止になったのです。通りかかってくれてよかった(笑)。
戦後には、米軍のキャンプ地として住宅が建ったりもしました。今でも当時の消火栓跡が公園に残されています。他には、堺市出身の与謝野晶子と夫の鉄幹との出会いの場所としても有名です。そういった「歴史性」や「物語性」を多く含んだ公園なんです。

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(左)かつて浜寺公園には「羽衣の松」という名松がありました。写真は、「新・羽衣の松」として大切にされている松の木です。
(右)枝振りが鳳凰の翼を拡げる姿を連想させることが名前の由来となっている「鳳凰松」。

 

松は、街の公園の木としては馴染みがないかもしれませんが、幹や枝の形は、やはり楽しめるポイントです。海岸の風に吹かれて育つのでうねうねと傾き、アーチ状になったりしています。そしてその形を美しいと感じるのは、とても日本的な文化なのだと思います。能舞台にも松が描かれたりしていますが、年月を経たものを美しいとする美意識を、日本人は昔から持っているんでしょうね。

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新しい松を育てて、次の世代へ受け継いでいこうという活動もしています。
芽生えから幼木、立派な松の木へと生長する姿を見守り続けるのも浜寺公園の楽しみのひとつと言えそう。

 

もともとあった風景地を公園に取り込んだというのが、浜寺公園の特徴です。なので、公園の松も含め、周辺の歴史や文化をまるごと維持していこうという心がけが、大事なのかもしれませんね。

※ 内閣発足以前の国の行政機関

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前中久行(まえなか ひさゆき)先生
元大阪府立大学大学院 生命環境科学研究科教授。現在は、中国での緑化協力活動をおこなう認定NPO法人「緑の地球ネットワーク」の代表を務める。府営公園では、大泉緑地の「百年の森づくりプロジェクト」や浜寺公園の「松林散歩イベント」などで、気さくな人柄と楽しい語り口で参加者に身近な自然の魅力を伝えている。

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